【映像ラヂオファンの皆さんへ】
私のあそびにお付き合い頂きありがとうございます。

私の映像が視聴者の方の遠い一枚のスライドを思い出すようなきっかけになればとても嬉しいです。

                      映像ラヂオ

自己紹介

在米45年(10代までは日本で生まれ育つ)

アートが好きな少年時代を経て、、、

英語について:
14歳の時NHKラジオ英語会話にハマり以来独学一直線
17歳で英語塾を開く
早稲田大学の英語講師、東後克明先生を師と仰ぐ

シンガポールへ移住の後、単身渡米

略歴:
企業、商工会議所で英語や考え方のセミナー多数
化粧品会社、広告代理店などのコンサルタント
日本大学病院 WEBアドバイザー
神田外語学院講師
日本とカリフォルニアで英会話スクール経営
横浜、神戸、博多などで雑貨店6店舗経営
ロサンゼルスの商業不動産会社にて日系企業担当バイス・プレジデント

現在(2025年)の仕事:
人事コンサル会社にてエグゼクティブ・コーチ(従業員教育)
2023年より独立行政法人ジェトロ(貿易振興機構)ロサンゼルス事務所アドバイザー
自社にて企業向け従業員教育プログラム制作・実施


映像ラヂオ

ラヂオの『ああ言えば、こう言う』
11/01/2025

ほとんどの国で同じだけれども、電車やバスの中ではみんな画面を見ている。見ているコンテンツはそれぞれ違うのだろうけれど、画面を見ていることに変わりは無い。

僕が子供の頃は、電車やバスの中では本や新聞を読んでいるか、居眠りしているか、ぼーっと外の景色を見ているかぐらいしかやる事はなかった。

公共の乗り物でのシーンに限らず、日々の生活の中で携帯やパソコンの画面を見ている時間は一体何時間あるんだろうか?

映像ラヂオチャンネルの視聴者の半分は、携帯から僕の映像を見てくれています。パソコンやタブレットはおそらく半分以下だったと思います。それくらい携帯電話がなければ私たちの生活は成り立たないと言う世界になりました。

飛行機の予約をする。Amazonで発注する銀行の口座を見る。何でもかんでも携帯からできるし、また携帯がなければできない。おかしな世の中になりました。 

以前Mから始まる銀行に行って、口座を開設したいけれども、携帯電話を持っていないと伝えたら、口座開設を断られたことがあります。

例えば、高齢者で携帯を使わない人、もしくは何らかの理由で携帯を手放した人、こういう人たちは銀行口座を作ることができないと言う世の中です。もちろん例外もあるでしょうが、それくらい世の中スマホを中心に回っている。

携帯に私たちは振り回されている。
スマホに私たちは踊らされている。
これはあまり良いことではないと思う。

ネットやコンピューターの便利さはよく理解している。確かにこういうものがないと世の中が成り立たなくなってきている。それは仕方がないことだ。しかし問題は毎日毎日小さなガラスの画面を覗き込んで、その中で起こっていることを実際に起こっていると認識してしまう。

もともと僕はメディアを信用していない。

中学校の時、当時みんなが読んでいた中2コースと言う雑誌に僕の読書に関する記事が掲載された。出版社は学研だったと思う記事の中にその本を読むのに結構時間がかかったと書いたのだけれど、編集部が勝手に内容を変更して「あっという間に読んでしまった。」と言う内容の記事として出版された。その時メディアって受け手の望んでいることを発信しているだけだとわかった。

最近の話だが、去年の冬青森県で大雪が降りました。知人のお父さんが雪かきをしていました。そこへテレビのニュースの人たちがやってきてお父さんにインタビューしました。
レポーターが「大雪で大変じゃないですか?」と聞くと、知人のお父さんは「いや、そんなことないよ。こんなの平気だよ」と答えました。

次の日このレポートがニュースで放映されました。知人のお父さんのインタビューはカットされました。代わりに別のおじいさんが出てきて「いやー大変だった」と言うコメントがテレビで流れました。

視聴者が見たい、聞きたい、読みたいものを発信している。これがメディアなんだなとまた再確認しました。

新聞やニュースで流れている記事の内容は、視聴者や読者に受けるように書かれています。それは当然です。スポンサーがいるからです。内容が本当であれ、そうでなかったとしても、受け手が喜べば視聴回数が増える。より多くの広告が発信できる。スポンサーが喜ぶ。そしてメディアにお金が入る。テレビ局の職員の給料が出る。こういう仕組みなわけです。

現在騒がれているトランプ大統領の前代未聞の代行政策は、ヨーロッパでも大変不評で、今後の外交の成り行きを心配している人たちはたくさんいます。しかし、メディアに発信している内容は脚色されているので、必ずしも正確ではないし、真実でない可能性もあります。

こういうものを毎日見たり聞いたりしている。
小さな画面中の人工的に作られた世界に踊らされている私たち。

1日でもいいから、一切メールを見ない、一切LINEを返信しない、YouTubeも見ない。(私のチャンネル以外) 携帯の電源を切る。
こういうことをやってみたらどうなんだろう。

13年間テレビを見ずに生活してきた結果、わかったのは、リアルタイムで見るニュースに1ミリの価値もないと言う事。災害とか緊急事態は別として、その他の事は私の人生に何の影響も与えなかった。

だったら、1日ぐらいは携帯をオフって
本を読んだり、ギターを弾いたり、ももちゃんに遊んでもらったり、散歩したり、友達とお話ししたり(オフラインで)やってみよう。

きっと何も不便な事は無いだろう。
きっとあなたは
翌日浦島太郎にはなっていないだろう。

音声で文字を起こしているので、間違っていたらごめんなさい。旅行中なので。

1 month ago (edited) | [YT] | 36

映像ラヂオ

『ああ言えばこう言う』 10/28/2025

JR横浜線に乗った。平日の昼下がり
まぁまぁ混んでいた。学生やサラリーマン、
主婦、リタイアしたジジババもちらほら。

薄手のマルーンカラーのコートを着て杖をつきながら歩く高齢のオシャレな女性が乗車してきた。髪は染めておらずライトグレーのハイライトが入ったナチュラルなヘアスタイルが上品だ。

彼女はあたりをチラッと見て満席なのを確認すると優先席の方へ歩き出した。途中若い男がまるで催眠術でもかけられたかのごとく小さなガラスの画面に貼り付いている。彼にとっての世界はおそらく6インチの画面の中にのみ存在するのだろうか。彼は自分の目の前に座れなくて困っている人のことが目に入らないのか、そういうフリをしているのか知らないが、彼の顔は引き続き6インチのガラスにへばりついたまま。

女性は優先席も満席とわかると、仕方なくドアの側に立った。たまたま近くに座っていたサラリーマン風の男性が、それに気づき、すっと立ち上がって、女性に近づき席を譲った。この人は自分の周りで何が起こっているのかをわかっているタイプの人だと思う。

何もこの電車に限ったことじゃないけど、どうなってんだ!?

いやね、ぼやいてるわけじゃないよ。
このストーリーの逆バージョンだって沢山見てきた。高校生男子のグループの一人が座れずに困っていたおばあさんにサッと席を譲るシーンは気持ちのいいもんだ。

夜遅い地下鉄の四人がけの優先席で居眠りしてるおっさん、おばはん。あんたらホンマに寝てるんかいな?それとも演技?

Kindという言葉を親切と和訳する人がいるけど、
ぼくは『思いやり』だと思う。
誰かにしてもらったら嬉しい事をまず自分から誰かにしてあげよう。聖書にもそんな事かいてあったよな。 それは、「黄金律(おうごんりつ/Golden Rule)」と呼ばれるものです。
✨ マタイの福音書 7章12節
イエス・キリストが山上の説教の結びとして語った言葉です。 「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

「黄金律」が優れているとされるのは、その積極性にあります。
• 消極的な教え(銀の律): 「人にされたくないことは、人にするな」
• これは「悪を避ける」ことに焦点を当てています。多くの宗教や倫理観に見られる教えです。
• 積極的な教え(黄金律): 「人にしてもらいたいと思うことは何でも、人にしなさい」
• これは「善を行う」ことに焦点を当てています。相手に喜びを与えるという積極的な行動へと促す点で異なります。

いえいえ、あたしは神なぞ信じておりませぬ。
もちろん否定もしませぬ。キリシタンに限らずブッダに限らず良い哲学の部分から学べる事は沢山ありますね。

1 month ago (edited) | [YT] | 24

映像ラヂオ

ラヂオの独り言 October 10, 2025

「楽になろうよ」

希望と期待の違いについていろんな人に聞いてみた。
ある人は「それってどっちも同じじゃゃないの?」って言ったけどそれは違うと思う。

イギリスの俳優、アンソニー・ホプキンスは言った。
「私は何も期待しない。そしてすべてを受け入れる。これで人生はどれほど楽になるだろう。」
ここまで腹をくくった人はなかなかいない気がする。

***   ***   ***

希望は、実現してほしいと願う気持ち、または、困難な状況にあっても良い結果が訪れることを信じる感情。

確実性: 低い。願望や夢に近い。

主体性: 強い。実現のために努力する意志を伴うことが多い。

焦点: 困難な状況や不確実な未来。

例文: 「希望を捨てずに病と闘う。」(実現は保証されていないが、良い未来を願う。)

***   ***   ***

期待は、実現する可能性が高いと見込んで待ち望むこと、
または、ある人が特定の結果を生み出すだろうと予想する確信に近い見込み。

確実性: 比較的高い。確信や予測に基づいている。

主体性: 低い。多くの場合、他者や外部の状況から受動的に生まれる。

焦点: 予測される具体的な結果や、他者への要求水準。

例文: 「彼の新製品には大きな期待が寄せられている。」(成功するだろうと見込んでいる。)

人が怒ったり、がっかりするのはこの期待値と現実のギャップが大きい時だ。

「こうあるべき!」とか、「これで当たり前」などと自分の価値観をもとに

物事の結果を勝手に予測した時ほど現実とのギャップに感情的になる。

希望は高く持とうよ。でないと夢も希望もないじゃない。

でも、期待値は低めに設定すると期待と現実とのギャップに左右されにくくなる。

「ま、いっか。」で終わらせることができる。

だから期待は自分の勝手な思い込みに過ぎない。
簡単に言えば、**希望は「どうにかなるかも」**という願いや光であり、
**期待は「こうなるはずだ」**という予測や当て込み。

***   ***   ***

ある女性は会社から雇用条件の変更を告げられた。
経営状況が悪化したので固定給ではなく時給のパートタイムに変更して欲しいと
会社から告げられた。その時給は女性が受け入れられる金額ではなかったことと、
6年間働いた会社からこんな悪条件を言い渡されてバカにされたと彼女は感じた。

「そんな条件では仕事を続けたくないので私は辞めます。」と彼女は感情的に発言した。

そのあとこの女性は私に相談に来た。「退職金も出ないし、こんな失礼な事は許せないから
自分から辞めたい。」と。

自分から退職すると失業保険を受け取れないので経済的に損をしますよ。
辞めたいなら会社に相談して解雇にしてもらえば失業保険は受け取れます。
そうしてみたらどうですかと提案した。

退職金ではなくても特別一時金として会社の判断でいくらか支給される場合がある。
と言うと彼女は、「でも、小さな金額だったら欲しくない。バカにされているから!」

でもね、会社はあなたに一銭も払う義務はないよ。だからもらえるものは受け取ったらどう?
いいえ、そんなもの要りません。

そして翌日会社側の担当者と女性はミーティングした。
彼女の希望どおり解雇扱いにして失業保険がもらえることを確認した。
会社側は一時金を月給の半分と申し出た。その金額を受け取る条件として
今後一切法律問題を含めて会社側と争わないという誓約書にサインすることを求められた。

彼女は5ページからなる書面をかるくめくって。
「こんなもの要りません。お金なんか欲しくないです。今この場で辞めます。」
と言って私物をまとめて立ち去った。

会社都合でパートにして欲しいと言われて、バカにされたから辞めると言った。
自分で辞めると失業保険がもらえないよと私に言われた。
彼女は会社に解雇してくれと申し入れた。
会社はそれを承諾し、さらに一時金まで払う用意をした。
月給半月分の一時金と引き換えに誓約書にサインしろと言われ
彼女はふたたび感情的になった。
お金は要りません。私は今すぐに辞めます。さようなら。。。。。

何を期待していたのか知らないが、私はこの女性に
期待値を下げたほうが楽になるよとミーティングの前に伝えたけれど
彼女にはそれは響かなかった。(理解しなかった。)

事情はどうあれ一時金をもらえばまとまったお金が入るのに
それを蹴って何も得ずに2週間後からもらえる失業保険だけを
あてにすることとなった。

わけのわからないプライドや期待値がもたらした
感情によって彼女は判断を誤った。
プライドなんてなんの価値もないけれど
ポケットに入ってくるお金はいつでもウエルカムなはずだ。
「いや、お金じゃない! プライドが大事だ!」って言っている人は
貧乏になったことがないのかも知れない。

楽になるということは期待値を低めにして希望を高く持つこと。

感情によって判断が左右されたとき
ミステイクは生まれる。

1 month ago (edited) | [YT] | 38

映像ラヂオ

中学生の時に聴いたラジオでラヂオの進路は決まった!

1 year ago | [YT] | 11

映像ラヂオ

ラヂオの独り言
― やっぱり行っちゃうというのは

開高健 インタビューより

冒険を求めることなんですか?

ボードレールのことばで言えば
「ここ以外のところならどこへでも行きたい」 
この心境は芸術家と天才に多いですね

― 冒険とか遊びとかを 絶えず求めているということですか

危機と遊び
男が熱中できるのはこの二つ

危機の中にも遊びがあるし
遊びの中にも危機がありますが

男が熱中できるのはこれじゃないかなあ

マージャンで負けが込んで破産しそうになる
そのヒリヒリとした感覚で
なおしがみついて真っ青になって
やっている人がいるでしょ 競馬でも

そんなバクチだけでなくても まともな事業でも
バクチの要素がタップリあります

危機と遊びが 男を男にするのではないでしょうかねえ

少し古い哲学ですが こういうことは
男の情念に関することですから
あんまり古今東西違わないと思います

なんで何の楽しみもないのに
南極へ行くんだ 北極へ行くんだ
ナイルの源流を なぜ探るのだ

ロンドンでローストビーフ食って
ポートワイン飲んでいられる身分なのに

マラリアと下痢の世界に
なぜ行かなきゃいけないのか

そんなこと聞いたってしょうがない

なぜ山に登るんだ「山がそこにあるからだ」
ということになってますがね〜
これは、はぐらかしの答えとしては
世界最高の答えですな

つまり、なぜ山に登るのだと 聞くことが無益である
と語っているんじゃないですか

― 見えざる危機というものを感じますか

見えざる危機は自分の心です

外から来る危機というのはあります
大地震がくるとか あるいはすごいインフレ
がくるとか いろいろありますけども

外側からの危機に対して人間は
割合抵抗のすべを知ってるんです

自分の心に生じてくる危機については
手のつけようがない

これが最大の問題

NHKのインタビュー番組より抜粋

1 year ago (edited) | [YT] | 19

映像ラヂオ

ラヂオの独り言  
誰も知らなかった「ひみつのアッコちゃん」

3番があるなんて当時小学生だった人の
ほとんどは知らなかった。

と言う、飲み会のネタ。

1 year ago | [YT] | 6

映像ラヂオ

ラヂオの独り言  
「猫を捨てに浜辺まで、」


村上春樹さんの思い出。

村上さんは小学校低学年の頃兵庫県西宮市夙川(しゅくがわ)に住んでいました。
ある夏の日の午後、村上さんは家族のペットだったメス猫を捨てるために
お父さんと一緒に自転車で家から遠く離れた場所へ行くことになりました。
夙川沿いの道を自転車で走り、香爐園の浜辺で猫の入った箱を置き去りにしました。

そして振り返ることもなくその場を去りました。
当時は今とは違って猫を捨てることに対して批判されるという風潮ではなかったようです。
なぜその猫を捨てることになったのか、村上さんはその理由を思い出せないそうです。
村上さんとお父さんは自転車に乗って家へ帰りました。
帰り道村上さんは考えました。家は一軒家だし、庭もあるから猫を飼うのに
不便はないはずなのになんで捨てるのだろうと。

メス猫だから子供を生んだら育てられないと両親が思ったのかどうかは
今はもうわからないそうです。
ペダルをこいで家へたどり着きました。

猫を捨てたのはかわいそうだったねと話し合いながら
玄関の扉をガラッと開けるとそこで二人を迎えてくれたのは
ついさっき捨ててきた猫でした。
嬉しそうにしっぽを立てて何も無かったかのようにそこにいたのです。
親子は驚いて顔を見合わせ、言葉が出ませんでした。

お父さんはほんの少しぼーっとしていたようでした。
その次の瞬間お父さんの表情は驚きから安心へと変わりました。
その後、猫は以前と同じように家族として一緒に暮らしました。
村上家にはいつも猫がいて村上さんは一人っ子だったので猫と本が友達だったそうです。

なぜその猫を捨てることになったのか、そしてどうやって猫が自転車で帰った村上さんたちより先に家へ戻ることが出来たのかは遠い夏の日の謎ということらしいです。



***   ***  ***

という不思議で本当にあった事を
ある雑誌で読んだのを思い出した。

1 year ago | [YT] | 45

映像ラヂオ

ラヂオの独り言  
音楽、好き・嫌い、クリエイトする

長いから読まない方がいいよ!😁
きょう頭の中にあったものをダウンロードしただけなので。

問: 音楽はこの世にいったい何種類あるのだろう。
という質問をたくさんの人たちにしてきた。でも、未だに誰もボクと同じ見方をした人がいない。
まず「何種類」と聴かれるとこの場合の「何」はhow manyを聞いているので数で答えるのだと思ってしまう。
すると次に自分の知っている音楽のジャンルを羅列し始める。邦楽、洋楽、クラシック、演歌、歌謡曲、ロック、70年代フォークソング、70年代ニューミュージックなどなどいくらでもある。数えられる限界の数字を答えとして出す。15種類とか、たくさんとか、数えられないとか。。。。

この問そのものに答える前に音楽とはナンゾやを理解しておかないと「何種類」に惑わされる。
音を楽しむと書いて音楽だとすれば誰が楽しむのか?他人が楽しむ場合もあるがこの場合
自分の世界に限って考える。クラシック、ロック、ジャズ、エトセトラ。。。。他人が楽しむ音楽は自分にとっては他人事。もちろん音楽をビジネスとして生業としている人にはこれが大事だけれど普通はそうではない。
自分が聴いて楽しい音楽という条件の中で言えばまず他人がその音楽をどう思おうが関係ない。
自分が好きならそれでいい。まだ10代の頃ユーミンを聴いていたらジャズ好きの友人に「いまさらかユーミンか!」と言われて気分が悪かった。今更ジャズかって言い返したかった。相手は3歳年上のお金持ちのボンボンでボクより100倍音楽について詳しかった。ダイヤトーンの1本50万円のスピーカーでジャズを聴かせてもらった。だから黙っていた。あとで考えたらあいつにとやかく言われる筋合いはないと思った。ボクが聴いて楽しい事が大事で他の人には関係ないし、ボクの好きな音楽を他人にすすめるとかシェアすることも無かった。
高校生の頃、友人がみんなロックだフォークだって言ってた時にボクはフランク・シナトラやグレン・ミラー、ナット・キング・コールなどをオープンリールで聴いていた。友達は「おやじ臭い音楽」と言った。

だから音楽はボクにとって楽しいリズムや旋律たちなのでそれらはボクの好み。好きな音楽。
そしてそれ以外の音楽はどうでもいい。だからボクにとっては音楽は2種類しかない。
自分の好きな音楽とそれ以外のすべて。(きらいな音楽とは限らない。)

クラシックが良い音楽でメタルは悪い音楽などというような低レベルな事を考える人とは関わらない。

問: 正しい事とそうではないことはどうやって区別するのか?
これも難しい問。正しい事は多くの場合他人の価値観によって決められたり変わったりする。
世の中に流通している価値観がこれは正しいと決めている事が多い。それが本当に真理として正しいかどうかを検証する人は少ない。就活にはみんながリクルートスーツを着るからそれがドレスコードとして正しいと思っている人たちを青山などはお客にしている。正しいという事をきちんと検証し論理的に証明できる人はいるのだろうか?よくわからない。よそ様がこう言っているからそれが正しい。そういう考えを持った事は今までに一度もなかった。自分の中に流れるリズムに逆らうことはできないので分からないものは分からないと言ってきた。
大人はそれを聞いて怒り、屁理屈を言うんじゃない!と言う。それのどこが正しいのかボクがわかるまで説明してくださいって先生に言うとたいてい逃げられる。ああ、教師ってこのレベルなんだって小学生の時に思った。自分できちんと理解して子供に説明できない人でも先生と言う職業に就いている。全員じゃないよ。中にはボクをインスパイアしてくれた美術の竹内先生のような人もいた。

父が言っていた事を思い出した。正しいとかそうではないなんてどうでもいい。社会生活を円滑に送るためにはある程度ルールを守る必要があるけれど、何をして正しいとか間違っているって言えるのかはわからない。
それよりも大事なのは「好きか嫌いか」である。と父はよく言っていた。人生は4つに集約できた。運が良いか悪いか、好きか嫌いか。それ以外はあまり重要ではない。なるほどって思った。頭が良いことより大切な事がある。それは健康でいる事。健康さえあればあとは何とかなる。健康を失えばすべてが変わる。

「好き、嫌い」を強制的に「良い、悪い」と翻訳する人たちがいる。国語力が低い。

問: クリエイトとは?
5歳くらいの時にボクは自分はクリエイターだと思った。もちろん当時はクリエイターという言葉を知らなかったしそんな横文字は誰も使っていなかった。意識して他人と違う事をしたり言ったりという事はなかった。
自分の中に流れるリズムに逆らうことなく自然に楽しい事だけに集中するタイプだった。
9歳くらいの時に着ていたセーターの色とシャツやズボンの色のマッチングが良かったらしくて近所のおばちゃんたちが「あんた色彩感覚がいいね〜」って言ってた。それらは母が選んだ色だったのかボクのアンサンブルだったのか覚えていないけれど、そういう事は何度もあった。図画工作が大好きだった。居間に転がっていたティッシュの空き箱を何個か使ってロボットを作ったり、ひょっこりひょうたん島の人形をコピって学校で人形劇をしてみたり。手を使っていつも何かを作っていた。絵も描いた。5歳年上の従兄弟が漫画家志望だったのでその影響もあったと思う。ケント紙にペンとインクで漫画を描く事を教えてもらった。従兄弟は手塚治虫先生の影響を受けていた。(石森章太郎先生も)彼は成人してからも仕事の書類に侍の漫画を描いていた。クリエイトする事の本質は「0」から「1」を発明する事もたまにあるけれど多くの場合はすでに存在しているものの順列組み合わせで今までにないものを作りそれによって何らかの新規性が生まれる。それで良いと思う。ピアノの88ある鍵盤はすべてその音が世の中に出回っているけれどそれらの組み合わせが新しいミュージックを生む。もっと言えば鍵盤と鍵盤の間に潜む中途半端な音。かならずしもシャープやフラットのように定義づけられる音ではないものの存在も面白いと思う。

泳ぎ続けないと死んでしまうマグロのようにクリエイターは何かをクリエイトし続けないとクリエイターとしての魂が死んでしまうのかも知れない。絵画でも音楽でも何でも良い。創るという行為を続ける事はクリエイターにとって命の営みである。

ミュージックビデオの編集を始めたのは数年前。まったく知識も技術もゼロから始めた。今でも大した技術は持っていない。ボクのやっている事はコラージュなので自分でヨーロッパに行って撮影したもの以外は他人が作ったものを借りているだけである。もちろんコラージュもクリエイトのひとつだけれどクリエイターとしては自分の手で創り出したものではないから新聞の切り抜きと同じだと思う。

複数の静止画や動画をつなぎ合わせてストーリーに仕立てる。楽曲のイメージに合わせて映像化する。
それはそれで楽しい。でも、これをもっと昇華させるときっと1枚の挿絵になるんだと思う。
例えば小説のカバーの絵のように。たった一枚の絵がストーリーを物語る。
そんな音楽のための挿絵を紙に手で描いてみたい。小手先の画像編集ではなく自分のイマジネーションと絵画の表現力を振り絞って1枚入魂。何をどう描くかで苦悩すると思う。それは描きたいものを描くだけなので
見る人のウケを狙うわけではない。絵を描くっていう事は悩む事だと思う。
でも、悩みを乗り越えた瞬間にすべてが一つにまとまる。絵を描いた人はそんな体験があると思う。

もともと空っぽの頭がさらに軽くなったのでそろそろ寝ます。
南カリフォルニアは馬車がカボチャに戻った時刻。

Good night! 😀

1 year ago (edited) | [YT] | 47

映像ラヂオ

ラヂオの独り言  
不要不急のネタ その⑥ 「ひばりさんから教えてもらったこと。」

その夜は銀座でタクシーを拾うのが大変だった。
世の中がバブっていた真っ最中。
夜中の2時でもタクシーが止まってくれない。

会食後のバーでのひとときを過ごし
タクシーでの移動となった。

ひばりさんはレコード会社の若い営業マンと部長と
中央通りから3ブロック入った並木通りに出て
タクシーを待つ事15分。
ようやく1台のタクシーがハザードランプを点滅させて
3人の前に止まった。

運転手がドアを開けると
部長がドアを持って
「さ、どうぞひばりさん」と言ったか
言わなかったかの一瞬に
若い営業マンは「失礼します。」と
一言添えてから部長によって開かれたドアから
後席に滑り込んだ。

部長の顔は
唖然の黄金玉らっきょうであった。
「おまえ何考えてんだ!ひばりさんに失礼だろ!」
という言葉が彼の胸部を引き裂いて
飛び出そうとしたその時

「どうもありがとう。」と
部長に軽く会釈してひばりさんが後部席に座った。

部長はまるでシンデレラが乗っている馬車の
扉を閉める召使いのように音もなく丁寧にドアを締めて
助手席に着座した。

彼の髪の毛は怒りの発熱により
70年代の陽水みたいになっていた。

タクシーが並木通りを滑り出した。

ひばりさんは若手営業マンに言った。
「あたな若いのによくマナーをわきまえているわね。」

彼は少し照れて緊張しながらひばりさんに返した。
「はい、高校生の時に父から教えてもらいました。」

***   ***   ***

これはその昔文藝春秋で読んだ記事だった。

タクシーに乗る時目上の人やお客様、上司より
若い者、部下、ホストが先に乗車して
後席の奥まで滑り込む。

それからお客様や上司などを歩道に近いところに
座らせると降りる時に後席のベンチシートを
よっこいしょと滑る事無く降車できる。

これこそ思いやりであり、良きマナー。

ひばりさんと同じようにタクシーに乗った
多くの人達は「どうぞ、どうぞ」と
ひばりさんが先に乗車するようにすすめた。

彼らに他意はない。
だからひばりさんもニコッと微笑んで
「どうもありがとう。」って会釈してから
クラウンの長いベンチシートの奥まで
よいしょっと移動した。

思いやりってこういう事なのかなと思った。

それからしばらくして
テレビ東京のスタジオで
赤いロングドレスを着て
「川の流れのように」を歌ったのを
最後に、ひばりさんは旅立たれた。

美空ひばりさんが旅立ってから数日後に
あのテレビ東京の歌番組が
ひばりさんの最後のステージだったと
知った時思わず泣いた。
なんと凛とした佇まいで熱唱されたことか。
ご病気で大変体調が芳しくなかったにもかかわらず
歌っている間ずっとスマイルを絶やさず
最後の歌詞「青いせせらぎを、聞きながら♪」
そして深くおじぎをされて
スタジオのライトが落とされた。

https://youtu.be/c1FCDVTYVTQ?si=VawFi...

(これはフジテレビです。)

***   ***   ***

ふとこんな事を思い出して「川の流れのように」を
ソロ・ギターで弾けるように練習を始めた。
弾いてみるとなんて美しい曲なんだろう。
年末までに完成したい。

ていうか、映像化してみようかなあ・・・

(写真のタクシーはクラウンではなくセドリック。)

2 years ago (edited) | [YT] | 47

映像ラヂオ

ラヂオの独り言  
不要不急のネタ その⑤ 「変身」


仕事上のメールを受け取った。


「さっそくのご変身ありがとうございます。」 ってご丁寧なメッセージ。

いえいえ、ショッカーを倒すためです。って返したら・・・・・

すみません、ショッカーってなんですか?

・・・・・・

後でわかったのは相手は私の子供の年齢だった。
なるほど ザ・ワールド。←すべてが古すぎる。

***   ***   ***

父と外食にいくとクレーマーとはこういうことだという
お手本を見ることになる。ほとんどの場合は「もうやめろ」って
言いたくなるけど、時折面白いものがある。

中華料理屋で家族で食事が運ばれてくるのを待っていた。
全員お腹がすいていた。父は空腹になればなるほど
眉間にシワをよせてゴルゴ13か非情のライセンスの天知茂のような
表情になる。一触即発の状態。

(注:眉間をコカンと読んだ小学校の同級生はやはり私の愛すべき同級生だと思った。)

そこへ若いウエイトレスさんが現れた。
家族のみんなの顔が明るくなる。
ビールばかり飲んでいた母も待ってましたという顔。

ウエイトレスさんはにっこりスマイルで
「マーボー豆腐になりま〜す。」
と言ってお皿をテーブルに置く。

その瞬間、
父はゴルゴ13の顔のまま、
「君はマーボー豆腐になれるのか? なって見ろ!」

***   ***   ***

どうでもいいコトシリーズだけれど
ラヂオとしてはどうてもよく無いと思っている。

なります以外にいきますというのもよく聞く。

そもそもこの「〜になります、いきます」という表現はいつ頃から使われ始めたのだろう。
街のあちこちで耳にする。

教師は「では、説明していきます。」
整体師は「治療を始めていきます。」
区役所では「こちらが申請書になります。」
みどりの窓口では「こちらが特急券になります。」

どこへ行くんだ!
何になるんだ!
君が申請書や特急券になったら
どんなホラー映画より怖いわ!😁

先日我が家にホームステイしている
私の娘よりはるかに若い日本人女子大生と
彼女の友人も交えて夕食の時に
この「〜になります」について
今の大学生はどう思っているのか?と
まったくオッサン的な質問をしてみた。

ねえ、マーボー豆腐になりますって
いったいどういう意味なんだろう?

女子大生たちは言いました。
あ、それってもともとは普通の豆腐だったのが
料理されてマーボー豆腐になりましたという
結果を表しているんじゃないですか? だって。

なんと素晴らしい解釈でしょう!

なるほど〜、では「〜していきます」はどういう意味?
あ、それもこれから始めますというコトを意味しているだけで
どこかへ行くわけではないんです。 だって。

胸につっかえていたカレーの中のじゃがいもが
す〜っと落ちるのがわかった。

いやいや、世代の違う人達と話していると
いろんな発見があって
勉強になります。

なります。



*画像は仮面ライダー公式サイトからお借りしました。
www.kamen-rider-official.com/zukan/forms/587

2 years ago (edited) | [YT] | 48