映像ラヂオ

ラヂオの独り言  
不要不急のネタ その④ 「喜ばれたイタズラ」

1990年頃のロサンゼルス。
リチャードさんはクルマでフリーウエイ(110号線)を北に向かっていた。
LAのダウンタウンを通ってチャイナタウンを越えたらすぐに
別のフリーウエイ(5番線)に乗り換えるはずだった。

ところがこの5番線に乗り換えるジャンクションには
「5番はこちら」という表示が看板の中に無かった。
看板は110号線北方向とだけ書いてあった。

それを知らなかったリチャードさんは5番線の乗り換えが出来なくて
入り口を通り越し道に迷ってしまった。

「あの看板さえもっとちゃんと表示していたら
こんな事にならなかったのに!」という思いが残った。

それから数年後リチャードさんは
オレンジカウンティーから
ロサンゼルスのダウンタウンへ引っ越した。
あのいまいましい字足らずで未完成で不親切な
フリーウエイの看板のすぐ近くに住むこととなった。

蘇る苦い記憶。
あの看板のおかげで僕は道に迷ってしまった。
って言うことは同じ思いをした人が
他にもたくさんいるんじゃないのか?

そう考えたリチャードさんは
あの不親切な看板に手を加えて
もっと読みやすくしてドライバーが
フリーウエイの乗り換えを間違わないように
してみようと思った。

リチャードさんはアーティストだったので
絵や文字を書くことはプロのレベル。
まず、既存の看板を研究した。

どんな書体を使ってどの大きさや色で
今の看板の経年劣化はどれくらいで
汚れや傷なども細かく調べ上げた。

そして考えたデザインは
「5番線 北」とだけ書いたものを
州をまたぐインターステート・フリーウエイの
ロゴを付けて作ってみた。
もちろんロゴのデザインは本物そっくり。
色、大きさ、書体、細かなディテールも
すべて完全にコピーした。

そしてその看板は完成した。
2001年8月5日。
日曜日の早朝、日の出前に
リチャードさんは行動した。

カリフォルニア州のフリーウエイを
維持管理する行政組織Cal Trans(キャル・トランス)の
ロゴを白いトラックに貼り付け
(もちろん完全コピー)
同じくCal Transの作業員と同じオレンジ色の
ユニフォームを着て白いヘルメットをかぶった。

はしごを使ってフリーウエイの上にかかる橋から
看板の足場に降りた。
ネジなどを決して下のフリーウエイに
落とさないように細心の注意を払った。
既存の文字とリチャードさん製作の文字の
文字間隔は予め現場の写真や測量で測ってあった。
取り付けは30分ほどで終わった。

この取り付けの場面をあらゆる角度から
写真におさめて記録を残した。
このプロジェクトにはリチャードさんの
友人たち数名がチームメンバーとして
参加していた。

看板の取り付けが終わるまでは
全員が緊張した。それはとっても
危険なことだった。フリーウエイの上という
場所的な危険と法律を犯しているという
社会的責任という危険を伴った。

無事に取り付けが終わって
みんなで朝食を食べに行った。

この話はチーム内だけの秘密にしようと言う
約束だったが8ヶ月後に一人がCal Transと
メディアにこのエピソードをリークした。

新聞やテレビでニュースとして取り上げられた。
Cal Trans は現場へ行ってリチャードさんの
手製看板をチェックした。
でも、取り外しはしなかった。
なぜならリチャードさんの看板は
Cal Transの看板企画に完全に適合していて
どこにも修正を加える必要がなかったから。

その後8年におよんで
リチャードさんの看板はフリーウエイの上に
設置されたままとなった。

確かに違法行為ではあるが
フリーウエイの利用者の役に立つことだったので
リチャードさんへのお咎めはなかった。
逆に Cal Transはリチャードさんに
うちで仕事をしないかと誘った。

8年後にリチャードさんの看板が
新しいものと入れ替わった時
そこにはリチャードさんのアイデアを取り入れて
「5番線 北」という文字が
きれいなバランスで表示されていただけでなく、
同じフリーウエイの延長線上にさらに
2箇所同じ看板が設置された。

***   ***   ***

昨日の午後たまたま看板屋さんの人と
話していて20数年前の新聞記事を思い出した。😀

写真はもともとの看板、
リチャードさんの製作現場、
取り付け現場
完成した手製の看板などなど。
110 Pasadenaって書いてある左に
NORTH 5 と書いてある。
Pasadenaは私が30年住んていた街。

2 years ago (edited) | [YT] | 34