映像ラヂオ

ラヂオの独り言  
音楽、好き・嫌い、クリエイトする

長いから読まない方がいいよ!😁
きょう頭の中にあったものをダウンロードしただけなので。

問: 音楽はこの世にいったい何種類あるのだろう。
という質問をたくさんの人たちにしてきた。でも、未だに誰もボクと同じ見方をした人がいない。
まず「何種類」と聴かれるとこの場合の「何」はhow manyを聞いているので数で答えるのだと思ってしまう。
すると次に自分の知っている音楽のジャンルを羅列し始める。邦楽、洋楽、クラシック、演歌、歌謡曲、ロック、70年代フォークソング、70年代ニューミュージックなどなどいくらでもある。数えられる限界の数字を答えとして出す。15種類とか、たくさんとか、数えられないとか。。。。

この問そのものに答える前に音楽とはナンゾやを理解しておかないと「何種類」に惑わされる。
音を楽しむと書いて音楽だとすれば誰が楽しむのか?他人が楽しむ場合もあるがこの場合
自分の世界に限って考える。クラシック、ロック、ジャズ、エトセトラ。。。。他人が楽しむ音楽は自分にとっては他人事。もちろん音楽をビジネスとして生業としている人にはこれが大事だけれど普通はそうではない。
自分が聴いて楽しい音楽という条件の中で言えばまず他人がその音楽をどう思おうが関係ない。
自分が好きならそれでいい。まだ10代の頃ユーミンを聴いていたらジャズ好きの友人に「いまさらかユーミンか!」と言われて気分が悪かった。今更ジャズかって言い返したかった。相手は3歳年上のお金持ちのボンボンでボクより100倍音楽について詳しかった。ダイヤトーンの1本50万円のスピーカーでジャズを聴かせてもらった。だから黙っていた。あとで考えたらあいつにとやかく言われる筋合いはないと思った。ボクが聴いて楽しい事が大事で他の人には関係ないし、ボクの好きな音楽を他人にすすめるとかシェアすることも無かった。
高校生の頃、友人がみんなロックだフォークだって言ってた時にボクはフランク・シナトラやグレン・ミラー、ナット・キング・コールなどをオープンリールで聴いていた。友達は「おやじ臭い音楽」と言った。

だから音楽はボクにとって楽しいリズムや旋律たちなのでそれらはボクの好み。好きな音楽。
そしてそれ以外の音楽はどうでもいい。だからボクにとっては音楽は2種類しかない。
自分の好きな音楽とそれ以外のすべて。(きらいな音楽とは限らない。)

クラシックが良い音楽でメタルは悪い音楽などというような低レベルな事を考える人とは関わらない。

問: 正しい事とそうではないことはどうやって区別するのか?
これも難しい問。正しい事は多くの場合他人の価値観によって決められたり変わったりする。
世の中に流通している価値観がこれは正しいと決めている事が多い。それが本当に真理として正しいかどうかを検証する人は少ない。就活にはみんながリクルートスーツを着るからそれがドレスコードとして正しいと思っている人たちを青山などはお客にしている。正しいという事をきちんと検証し論理的に証明できる人はいるのだろうか?よくわからない。よそ様がこう言っているからそれが正しい。そういう考えを持った事は今までに一度もなかった。自分の中に流れるリズムに逆らうことはできないので分からないものは分からないと言ってきた。
大人はそれを聞いて怒り、屁理屈を言うんじゃない!と言う。それのどこが正しいのかボクがわかるまで説明してくださいって先生に言うとたいてい逃げられる。ああ、教師ってこのレベルなんだって小学生の時に思った。自分できちんと理解して子供に説明できない人でも先生と言う職業に就いている。全員じゃないよ。中にはボクをインスパイアしてくれた美術の竹内先生のような人もいた。

父が言っていた事を思い出した。正しいとかそうではないなんてどうでもいい。社会生活を円滑に送るためにはある程度ルールを守る必要があるけれど、何をして正しいとか間違っているって言えるのかはわからない。
それよりも大事なのは「好きか嫌いか」である。と父はよく言っていた。人生は4つに集約できた。運が良いか悪いか、好きか嫌いか。それ以外はあまり重要ではない。なるほどって思った。頭が良いことより大切な事がある。それは健康でいる事。健康さえあればあとは何とかなる。健康を失えばすべてが変わる。

「好き、嫌い」を強制的に「良い、悪い」と翻訳する人たちがいる。国語力が低い。

問: クリエイトとは?
5歳くらいの時にボクは自分はクリエイターだと思った。もちろん当時はクリエイターという言葉を知らなかったしそんな横文字は誰も使っていなかった。意識して他人と違う事をしたり言ったりという事はなかった。
自分の中に流れるリズムに逆らうことなく自然に楽しい事だけに集中するタイプだった。
9歳くらいの時に着ていたセーターの色とシャツやズボンの色のマッチングが良かったらしくて近所のおばちゃんたちが「あんた色彩感覚がいいね〜」って言ってた。それらは母が選んだ色だったのかボクのアンサンブルだったのか覚えていないけれど、そういう事は何度もあった。図画工作が大好きだった。居間に転がっていたティッシュの空き箱を何個か使ってロボットを作ったり、ひょっこりひょうたん島の人形をコピって学校で人形劇をしてみたり。手を使っていつも何かを作っていた。絵も描いた。5歳年上の従兄弟が漫画家志望だったのでその影響もあったと思う。ケント紙にペンとインクで漫画を描く事を教えてもらった。従兄弟は手塚治虫先生の影響を受けていた。(石森章太郎先生も)彼は成人してからも仕事の書類に侍の漫画を描いていた。クリエイトする事の本質は「0」から「1」を発明する事もたまにあるけれど多くの場合はすでに存在しているものの順列組み合わせで今までにないものを作りそれによって何らかの新規性が生まれる。それで良いと思う。ピアノの88ある鍵盤はすべてその音が世の中に出回っているけれどそれらの組み合わせが新しいミュージックを生む。もっと言えば鍵盤と鍵盤の間に潜む中途半端な音。かならずしもシャープやフラットのように定義づけられる音ではないものの存在も面白いと思う。

泳ぎ続けないと死んでしまうマグロのようにクリエイターは何かをクリエイトし続けないとクリエイターとしての魂が死んでしまうのかも知れない。絵画でも音楽でも何でも良い。創るという行為を続ける事はクリエイターにとって命の営みである。

ミュージックビデオの編集を始めたのは数年前。まったく知識も技術もゼロから始めた。今でも大した技術は持っていない。ボクのやっている事はコラージュなので自分でヨーロッパに行って撮影したもの以外は他人が作ったものを借りているだけである。もちろんコラージュもクリエイトのひとつだけれどクリエイターとしては自分の手で創り出したものではないから新聞の切り抜きと同じだと思う。

複数の静止画や動画をつなぎ合わせてストーリーに仕立てる。楽曲のイメージに合わせて映像化する。
それはそれで楽しい。でも、これをもっと昇華させるときっと1枚の挿絵になるんだと思う。
例えば小説のカバーの絵のように。たった一枚の絵がストーリーを物語る。
そんな音楽のための挿絵を紙に手で描いてみたい。小手先の画像編集ではなく自分のイマジネーションと絵画の表現力を振り絞って1枚入魂。何をどう描くかで苦悩すると思う。それは描きたいものを描くだけなので
見る人のウケを狙うわけではない。絵を描くっていう事は悩む事だと思う。
でも、悩みを乗り越えた瞬間にすべてが一つにまとまる。絵を描いた人はそんな体験があると思う。

もともと空っぽの頭がさらに軽くなったのでそろそろ寝ます。
南カリフォルニアは馬車がカボチャに戻った時刻。

Good night! 😀

1 year ago (edited) | [YT] | 47