TOLAND VLOG

福井県越前市のある団体が「ホツマツタヱ」を地域おこしに活用しようとして大炎上しているんですが、この問題を掘り下げると「日本人の課題」が見えてきたのでシェアします。

そもそもホツマツタヱが何故「偽書」として扱われているのか?その理由をまとめると、

①ホツマツタヱの最古の写本が1775年(江戸時代)に確認されているが、それ以前のものは確認されていない→古事記の最古の写本は1371年

②漢字以前に作られたとされる「神代文字がなかった」という前提

③古代日本には存在しなかった(とされる)言葉が一部混入している

そして、何よりもホツマツタヱ=偽書説を決定づけたのが、

④古代日本は現在の「五母音」ではなく「八母音」だったはずなのに、ホツマツタヱは五母音で構成されている

こういった理由から、国文学者の佐佐木信綱が「これは偽書や!」と判断したわけですが、近年になってホツマツタヱを偽書として決定づけた「上代特殊仮名遣(八母音説)」自体が否定されてしまったんです(ここを説明すると長くなるのでご自身で調べてみてください)

なので、本物か偽物とか言い切る前に「もう一回再考する必要性がある書物」だと言えるわけです。

ちなみに、SNSでは「古事記=正史」という前提で議論されていることが多いですが、そもそも古事記は作られてから1000年ほど偽書として扱われてきました。

実は古事記の地位が上がったのは、本居宣長が作った「古事記伝」が発表されてからなんです。これはホツマツタヱが発見されてから10年後に制作され始めた書物なんですが、本居宣長は神代文字否定派で、弟子筋にあたる平田篤胤は神代文字の存在を主張していました。

つまり、古事記そのものが「後世に見直された結果、正史扱いされた」書物ってことですね。

結局、その当時の権力層が「これが正しい」と言ったものが正しいってことになるんですが(その後の明治時代以降の流れ的にも古事記はピッタリな書物だった)

何よりも僕がこの投稿で伝えたいことは、そろそろ「偽書か真書か」という二項対立自体を見直すべきじゃないかって話なんです(ここが冒頭の課題)

というのも、古事記も日本書紀も複数の資料を編纂し、政治的意図のもとに取捨選択された「編集物」だからです。

そして、その過程で排除された伝承が、別のルートで伝わっていた可能性を最初から否定する理由はないはずです。

例えば、創建から1000年以上経つ神社の由緒の中には(有名なところだと廣田神社)、記紀ではなく、ホツマツタヱに書かれた内容と紐づくことが多くあります。そういった伝承は古事記や日本書紀には書かれてないことがほとんどです。

それこそ、かつては伊勢神宮ですら祀ってた瀬織津姫の存在を完全スルーしている記紀に対し、ホツマツタヱはガッツリと記録してる(この内容も各地に残る神社の由緒と一致)

書物を個人の妄想だけで書いたというのは、よくある現代人の発想で、古代の歴史的資料のほとんどが各地の伝承を集めた「編纂物」であるという視点を持つと、もう少し日本の歴史の可能性の幅が広がるかもしれませんね。

そうして見ていったら日本の歴史はさらに深くて、ビックリするくらい面白くなるんですわ!ってことでこれからのTOLAND VLOGもよろしくお願いします🔥

※サムのX投稿から引用

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