ティムールに敗北した時、王様の奥様が捕虜になってひどい目に遭わされたからと記憶してますがなんか疑わしくなってきました。 なんだか色んなところから海路運ばれてきた女性が後に王様の母になった印象が強いです。
1 year ago | 6
全然知らないことでした。 ありがとうございます。 イスラム教の国は合理的にできている、と言う先入観を持っているのですが、これもそう言うことかな、と思いました。
1 year ago | 4
肖像画は奴隷身分の女性でしょうか。綺麗に着飾り見分けがつきませんね。良い暮らしぶりと、ある程度の人権はあったように見えますが子供儲けの機械感が否めない🙁
1 year ago | 0
結婚後奴隷とされるなら母親親族が口出ししてこないようにという理由がわかるんですが、元々奴隷の女性を男児出産の為に妻ではなく妾のような立場でそばに置いたということではないんですか?ある程度家柄がいい貴族からの遺伝子でないと子孫の能力に問題が出てきそうな気がします🤔
1 year ago | 7
世界見聞録
オスマン帝国では、ほとんどの王様の母親が奴隷でした。
これは、王様の母親の一族がオスマン帝国に干渉してこないようにすること、そして跡継ぎとなる男児を確実にもうけることがその目的でした。
イスラム教では、妻は4人までと決められていますが、奴隷身分の女性と関係を持つことには制限はなかったのです。
また、イスラム教では母親の身分に関わらず、子供が持つ権利は平等だというルールもあったため、母親が奴隷であることのデメリットはほとんどありませんでした。
オスマン帝国が長く繁栄できた理由として、少年時代から鍛えられたエリート奴隷たちの存在がピックアップされることが多いですが、こうした女性奴隷の存在も非常に大きな意味を持っていました。
1 year ago | [YT] | 508