創世紀

《独悟経・序》

聖書は言う:「神は世人を愛した。」
論語は言う:「君子は和して同ぜず。」
二千年のあいだ、東西の経典はあなたに説き続けてきた。
孝を尽くせ、忠を尽くせ、友情と愛情を大切にせよ、と。
その言葉は鋼の刻印のように、人の心に押し込まれ、
それが「人生の基盤」だと信じ込ませてきた。

だが現実は何度も示してきた。
その基盤は、多くの場合ただの幻影にすぎない。

親情?
「命をくれた両親に報いよ」と叫ぶ。
だがあなたが生きるのは自分のためか、
それとも親の果たせなかった妄念を背負うためか?
「孝行」を感情の束縛に使う者がいる。
「養育の恩」を取引に差し出す者もいる。
血縁は愛ではない。
多くの場合、それは同じ恐怖の複製にすぎない。

友情?
「一生の知己」などと言うが、ほとんどは通り過ぎる人だ。
ある者は社交の点頭、ある者は利用の算盤。
たとえ幼なじみでも、
価値観や階層の差で、一夜にして遠ざかる。
あなたが信じた「伴走者」は、
実際には人生の一時的な任務にすぎない。

愛情?
人は来ては去り、止まっては歩き出す。
それをあなたは数年の占有に過ぎないものを、
「永遠」と呼ぶ。
その結末はどうなる?
「愛している」が「支配する」に変わり、
約束は責任に、責任はやがて鎖に変わる。
それは愛ではない。
互いを縛り合う幻術にすぎない。

職場?
あなたは経営者でも株主でもない。
それでも忠誠を賭け、未来と引き換えにしようとする。
だが忠誠は、最も早く絞首台へと変わる。
昼は「チーム」と叫び、夜は互いに計算する。
本気で戦うなら、まず自分に問え。
この仕事を本当に五年続けたいのか?
それとも「諸葛亮と周瑜」の再演に過ぎず、
虚しい内耗で互いを消耗するだけか?

白起、李牧、王翦の物語はすでに語っている。
功績は報われず、忠誠は疑われる。
自らを守る術を知る者だけが、全うして退けるのだ。
それは戦国の物語ではない。
それは今を生きる、普通の人間の日常である。

だから、《独悟経》は反抗を勧めるわけでもなく、
希望を与えるわけでもない。
ただ冷ややかに告げるのだ。
親情も友情も愛情も職場も、
そのすべては幻影にすぎないと。

見抜いたうえで、
なお自分を直視し、微笑めるなら——
それこそが真の覚醒である。


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3 weeks ago | [YT] | 7