diegodobini2
Ryo Fukui – Scenery (1976)https://youtu.be/NizIWgb_7QQOriginal Liner Notes:「福居良トリオについて」 (いとう・まさたか) 私が福居良に初めて会ったのは、約1年半程前、東京からの出張で札幌に来ていた頃、当地のジャズ喫茶「ニカ」の山本氏から誘われて行ったクラブでの演奏が最初だった。 「きれいなピアノだな!」というのが、その時の印象だった。 当時のメンバーは現在とは異なっており、いわゆるナイト・ クラブの片隅での「カクテルバンド」的地味なトリオであったが、ピアノだけは格段に光っていた。2回目にその店に行く時は、友人に頼んでカセット・デッキを持ち込み、録音した事もあり、特に「オン・ア・クリアー・デイ」の良さは、水割りのうまさを倍加させてくれたものだ。 その後、札幌へ来る毎に彼の演奏に接し、メンバーの変更と共に音の充実して行くのが手にとるようで、札幌へ来て次の演奏を聴くのが楽しみになっていったものである。 その間、彼のトリオはジャズ喫茶、クラブ等のレギュラーの仕事も増え、前述の「ニカ」及び「びーどろ」(この「びーどろ」 という店は今、札幌では最高にノッてる店で、ヤング大集合のごきげんなライブ・スポットである)を筆頭に、札幌はもちろん北海道内に「福居良」の名前を拡げて行った。レコーディング・メンバーである現在のトリオとなったのは76年3月であるが、 このメンバーになってからの充実度は素晴らしいものがあり、 伝法論の心暖まるベース・ワーク。福居良の実弟である福居良則のワイルドなドラミングをバックに、ピアノが鍵盤を跳びはねてゆくという感じである。 然し、何といっても彼、福居良の本領はバラード・プレイにあり、ピアノを恋人のようにやさしく愛撫している時のタッチ、 フレージングは抜群である。ピアノもあれ程やさしくされれば本望であろうし、彼のファンに女性が圧倒的に多いのは、あながち無関係でもなさそうである。 こういう音を持つピアニストであるから、今回のアルバムについても彼のセンスが充分発揮されており、特に最後の「シーナリィ」については、彼がこのアルバムの為に作曲したものでファンタスティックなメロディは彼独自の世界である。 またこのアルバム自体、スタンダードを中心に出来るだけ楽しめるアルバムをねらったものであるが、中でもB面の「ウィロウ・ウィーブ・フォ・ミー」について、札幌のある女性などは何故かこの曲の熱狂的ファンで、この曲がきこえてくると結構ウルサかったりというような楽しいジャズ・ファンもおり、ジャズを自分風に最高にエンジョイしている人が多いようである。 このように北海道のジャズ・ファンは楽しく、かつ恐ろしい人達が多く(?) 福居良トリオもこの厳しい環境の中で、増々素晴らしいグループになって行くことであろう。 ここでメンバーの略歴を簡単に記しておこう。 まず、リーダー兼ピアニストの福居良。昭和23年生れの28才。 津軽三味線の名人、福居天童を父に持ち様々な楽器に親しんだが、ピアノは22才になって始め、上京後ジャズ理論を1年学ぶ。 その後、松本英彦のグループで本格的な演奏活動をスタートし、 全国に亘る楽旅の他都内のジャズ・スポット「アズ・スーン・アズ」「ピット・イン」等で活躍。75年に札幌へ帰り、札幌を中心にクラブ、ジャズ喫茶等で自己のトリオで演奏を開始。その間、 メンバーも多少変更があり76年3月に、ベースに伝法論、ドラムに実弟の福居良則が加入した現在のトリオとなり、その後は 76年5月に札幌ジャズ・フェスティバルに参加、日本のトップ・ グループの中で素晴らしい演奏を展開し、一際大きな拍手を受けた。また8月には北海道ツアーを敢行し大成功を納める等、 現在の活躍は目を見張るものがあり、このアルバムによって彼のファンが増大することは確実であろう。 次に、演奏と同じくやさしい顔と暖かそうなオナカをしている伝法論。函館生れの26才。高校時代から熱心なジャズ・ファンであり、とうとうベースを独学でものにし、他方、友人達と ジャズ・スポットの経営に参加したこともある程の才人である。 安定したバッキングは定評があり、温厚な人柄からくる演奏内容には、ピアノの福居良を凌ぐ女性ファンが多いと聞く。 次に、一見キース・ジャレット風のひげをたくわえたドラムの福居良則。26才。高校時代よりドラムに親しみ、彼も独学でドラムをマスター。フルバンド、ロック・バンドのドラマーとして活躍していたが、兄、福居良の帰札後、現在のトリオに参加。ダイナミックなドラミングでグングンとのせてゆくライブでのソロなどは最高である。大食家としても有名。 福居君の新作によせて いソノてルヲ 北海道が毛ガニとジャガイモだけではないことはよく承知していた。北海道が北島三郎と森山加代子だけでないこともよく承知していた。 私の長年専門としているジャズの演奏家に関して言えば、北海道はまさに宝庫であった。 私と同じ世代では不思議とトラムベット奏者が多い。福原彰、 福島照之、千葉勲など。 モダン・シーンでは何と言ってもペースの水橋孝が有名だ。 彼の土産ん子らしい根性は範とするに足る実績を日本のジャズ史に残した。 若い所ではベースとサクスが多い。ベースの川端民生、長木喬嗣。 サクスではテナーの高橋知己、菊地昭紀、バリトンの多田賢一。 思いつくまに、この他ピアノ寺下誠、ドラムス藤井信雄と 枚挙にいとまがない。 新人発掘に成功しているトリオが、こに又新しい人材をレコードを通して北海道から、全国のジャズ・ファンに紹介することになった。 津軽三味線の名人を父に持ち、22才になってからジャズ・ピアノをはじめた好漢・福居良君である。 筆者は、彼のテープに収められたジャズを聞き、まことに気分爽快になった。 この爽快感は、同じトリオの本田竹礦のデビュー・アルバムを聞いた時と同じ質のものである。 彼のピアノ音楽を要約すると次の三つの点が特色としてあげられる。 第一にスイングしていること。近頃、ジャズで最も重要な要素であるスイングをないがしろにする一部の傾向があるが、福居君のジャズは一貫してスイングしている。 第二に唄っていること。選曲も唄物を中心に、ジャズ・オリジナルを三分の一配する所など心憎い。どれもがよく唄っている。新人としての気負いが無くて良い。 第三にレギュラーのトリオのためバランスが良い。サイドメンに有名人を使って新人を盛り立てる制作方針もあるが、このアルバムでは常に一緒にプレイしているレギュラーをそのま用いた。これが成功していると思う。 トリオの演奏した曲は全6曲。A面のオープナーはミディアム・パウンス・テムポで奏される「イット・クッド・ハプン・ トゥ・ユー」。君の身の上にも起り得る・・・・・・こと? フランク・シナトラの私設マネージャーをしていた作曲家ジミー・ヴァンヒューゼンの体調で、1944年のパラマウント映画 「エンド・ジ・エンジェルス・シング」の主題歌として作られた。 ロリンズをはじめ、大物ジャズメンの名演が沢山ある。リラックスしたプレイで、先にも述べた通りよく唄っている。 スロー・バラードの「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」はバップ初期の名歌手、ミスターB、ことビリィ・ エクスタインの作品。 エクスタインはピッツバーグの産で、ヴァルブ・トロムボーン奏者、1947年にパーカーやガレスピーをふくむ楽団をひきい壮観であった。粘っこい低音歌手として多くのヒットを放った。 「アーリィ・サマー」はピアニスト、市川秀男のオリジナル。 ロックとジャズ・ノバの中間のような現代的ビートを持った曲。 市川は静岡出身で、ジョージ大塚トリオやジョージ川口の下で働き、作曲面でも多くの立派なジャズを書いている。 B面は先ず女流作曲家アン・ロネルの「ウィロウ・ウィーブ・ フォ・ミー」でスタートする。柳よ泣いておくれ・・………………… 1930年代初頭に生れたこの甘美な旋律はジャズのスタンダードとして多くの名演を生んでいる。ヴォーカル・ナンバーとして親しまれている。 「オータム・リーヴス」はシャンソンの名曲と言うより、現在ではジャズ・ナンバーになりつつある。 作曲はジョセフ・コスマ、AA'CB型のマイナー・テューンで、 本来は2度ともどらぬ恋の回想曲だが、本場のモンタン以下、 アメリカではクロスビー、コール、シナトラと多くの名唱があり、ジャズではマイルスが最も有名。 アルバムのクローザーは「シーナリィ」、アルバム・タイトル にもなっている福居君のオリジナル。 シーナリィとは舞台面とか道具立、書き割りと言った意味の英語である。全体の景色、風景、背景と言ったニュアンスもあり、構成のしっかりした作品。 もち論、自作だけに生き生きと弾いており、サイドメンのサポートも申し分ない。
1 month ago | [YT] | 30
diegodobini2
Ryo Fukui – Scenery (1976)
https://youtu.be/NizIWgb_7QQ
Original Liner Notes:
「福居良トリオについて」
(いとう・まさたか)
私が福居良に初めて会ったのは、約1年半程前、東京からの出張で札幌に来ていた頃、当地のジャズ喫茶「ニカ」の山本氏から誘われて行ったクラブでの演奏が最初だった。
「きれいなピアノだな!」というのが、その時の印象だった。
当時のメンバーは現在とは異なっており、いわゆるナイト・ クラブの片隅での「カクテルバンド」的地味なトリオであったが、ピアノだけは格段に光っていた。2回目にその店に行く時は、友人に頼んでカセット・デッキを持ち込み、録音した事もあり、特に「オン・ア・クリアー・デイ」の良さは、水割りのうまさを倍加させてくれたものだ。
その後、札幌へ来る毎に彼の演奏に接し、メンバーの変更と共に音の充実して行くのが手にとるようで、札幌へ来て次の演奏を聴くのが楽しみになっていったものである。
その間、彼のトリオはジャズ喫茶、クラブ等のレギュラーの仕事も増え、前述の「ニカ」及び「びーどろ」(この「びーどろ」 という店は今、札幌では最高にノッてる店で、ヤング大集合のごきげんなライブ・スポットである)を筆頭に、札幌はもちろん北海道内に「福居良」の名前を拡げて行った。レコーディング・メンバーである現在のトリオとなったのは76年3月であるが、 このメンバーになってからの充実度は素晴らしいものがあり、 伝法論の心暖まるベース・ワーク。福居良の実弟である福居良則のワイルドなドラミングをバックに、ピアノが鍵盤を跳びはねてゆくという感じである。
然し、何といっても彼、福居良の本領はバラード・プレイにあり、ピアノを恋人のようにやさしく愛撫している時のタッチ、 フレージングは抜群である。ピアノもあれ程やさしくされれば本望であろうし、彼のファンに女性が圧倒的に多いのは、あながち無関係でもなさそうである。
こういう音を持つピアニストであるから、今回のアルバムについても彼のセンスが充分発揮されており、特に最後の「シーナリィ」については、彼がこのアルバムの為に作曲したものでファンタスティックなメロディは彼独自の世界である。
またこのアルバム自体、スタンダードを中心に出来るだけ楽しめるアルバムをねらったものであるが、中でもB面の「ウィロウ・ウィーブ・フォ・ミー」について、札幌のある女性などは何故かこの曲の熱狂的ファンで、この曲がきこえてくると結構ウルサかったりというような楽しいジャズ・ファンもおり、ジャズを自分風に最高にエンジョイしている人が多いようである。 このように北海道のジャズ・ファンは楽しく、かつ恐ろしい人達が多く(?) 福居良トリオもこの厳しい環境の中で、増々素晴らしいグループになって行くことであろう。
ここでメンバーの略歴を簡単に記しておこう。
まず、リーダー兼ピアニストの福居良。昭和23年生れの28才。 津軽三味線の名人、福居天童を父に持ち様々な楽器に親しんだが、ピアノは22才になって始め、上京後ジャズ理論を1年学ぶ。 その後、松本英彦のグループで本格的な演奏活動をスタートし、 全国に亘る楽旅の他都内のジャズ・スポット「アズ・スーン・アズ」「ピット・イン」等で活躍。75年に札幌へ帰り、札幌を中心にクラブ、ジャズ喫茶等で自己のトリオで演奏を開始。その間、 メンバーも多少変更があり76年3月に、ベースに伝法論、ドラムに実弟の福居良則が加入した現在のトリオとなり、その後は 76年5月に札幌ジャズ・フェスティバルに参加、日本のトップ・ グループの中で素晴らしい演奏を展開し、一際大きな拍手を受けた。また8月には北海道ツアーを敢行し大成功を納める等、 現在の活躍は目を見張るものがあり、このアルバムによって彼のファンが増大することは確実であろう。
次に、演奏と同じくやさしい顔と暖かそうなオナカをしている伝法論。函館生れの26才。高校時代から熱心なジャズ・ファンであり、とうとうベースを独学でものにし、他方、友人達と
ジャズ・スポットの経営に参加したこともある程の才人である。 安定したバッキングは定評があり、温厚な人柄からくる演奏内容には、ピアノの福居良を凌ぐ女性ファンが多いと聞く。
次に、一見キース・ジャレット風のひげをたくわえたドラムの福居良則。26才。高校時代よりドラムに親しみ、彼も独学でドラムをマスター。フルバンド、ロック・バンドのドラマーとして活躍していたが、兄、福居良の帰札後、現在のトリオに参加。ダイナミックなドラミングでグングンとのせてゆくライブでのソロなどは最高である。大食家としても有名。
福居君の新作によせて
いソノてルヲ
北海道が毛ガニとジャガイモだけではないことはよく承知していた。北海道が北島三郎と森山加代子だけでないこともよく承知していた。
私の長年専門としているジャズの演奏家に関して言えば、北海道はまさに宝庫であった。
私と同じ世代では不思議とトラムベット奏者が多い。福原彰、 福島照之、千葉勲など。
モダン・シーンでは何と言ってもペースの水橋孝が有名だ。 彼の土産ん子らしい根性は範とするに足る実績を日本のジャズ史に残した。
若い所ではベースとサクスが多い。ベースの川端民生、長木喬嗣。
サクスではテナーの高橋知己、菊地昭紀、バリトンの多田賢一。 思いつくまに、この他ピアノ寺下誠、ドラムス藤井信雄と
枚挙にいとまがない。
新人発掘に成功しているトリオが、こに又新しい人材をレコードを通して北海道から、全国のジャズ・ファンに紹介することになった。
津軽三味線の名人を父に持ち、22才になってからジャズ・ピアノをはじめた好漢・福居良君である。
筆者は、彼のテープに収められたジャズを聞き、まことに気分爽快になった。
この爽快感は、同じトリオの本田竹礦のデビュー・アルバムを聞いた時と同じ質のものである。
彼のピアノ音楽を要約すると次の三つの点が特色としてあげられる。
第一にスイングしていること。近頃、ジャズで最も重要な要素であるスイングをないがしろにする一部の傾向があるが、福居君のジャズは一貫してスイングしている。
第二に唄っていること。選曲も唄物を中心に、ジャズ・オリジナルを三分の一配する所など心憎い。どれもがよく唄っている。新人としての気負いが無くて良い。
第三にレギュラーのトリオのためバランスが良い。サイドメンに有名人を使って新人を盛り立てる制作方針もあるが、このアルバムでは常に一緒にプレイしているレギュラーをそのま用いた。これが成功していると思う。
トリオの演奏した曲は全6曲。A面のオープナーはミディアム・パウンス・テムポで奏される「イット・クッド・ハプン・ トゥ・ユー」。君の身の上にも起り得る・・・・・・こと?
フランク・シナトラの私設マネージャーをしていた作曲家ジミー・ヴァンヒューゼンの体調で、1944年のパラマウント映画 「エンド・ジ・エンジェルス・シング」の主題歌として作られた。
ロリンズをはじめ、大物ジャズメンの名演が沢山ある。リラックスしたプレイで、先にも述べた通りよく唄っている。 スロー・バラードの「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」はバップ初期の名歌手、ミスターB、ことビリィ・ エクスタインの作品。
エクスタインはピッツバーグの産で、ヴァルブ・トロムボーン奏者、1947年にパーカーやガレスピーをふくむ楽団をひきい壮観であった。粘っこい低音歌手として多くのヒットを放った。 「アーリィ・サマー」はピアニスト、市川秀男のオリジナル。
ロックとジャズ・ノバの中間のような現代的ビートを持った曲。 市川は静岡出身で、ジョージ大塚トリオやジョージ川口の下で働き、作曲面でも多くの立派なジャズを書いている。
B面は先ず女流作曲家アン・ロネルの「ウィロウ・ウィーブ・ フォ・ミー」でスタートする。柳よ泣いておくれ・・…………………
1930年代初頭に生れたこの甘美な旋律はジャズのスタンダードとして多くの名演を生んでいる。ヴォーカル・ナンバーとして親しまれている。
「オータム・リーヴス」はシャンソンの名曲と言うより、現在ではジャズ・ナンバーになりつつある。
作曲はジョセフ・コスマ、AA'CB型のマイナー・テューンで、 本来は2度ともどらぬ恋の回想曲だが、本場のモンタン以下、 アメリカではクロスビー、コール、シナトラと多くの名唱があり、ジャズではマイルスが最も有名。
アルバムのクローザーは「シーナリィ」、アルバム・タイトル
にもなっている福居君のオリジナル。
シーナリィとは舞台面とか道具立、書き割りと言った意味の英語である。全体の景色、風景、背景と言ったニュアンスもあり、構成のしっかりした作品。
もち論、自作だけに生き生きと弾いており、サイドメンのサポートも申し分ない。
1 month ago | [YT] | 30