神旅

【新作動画のご案内です。】
7月4日(金)19:00
『物部の末裔が密かに守屋を祀る神社』
『長髄彦』のDNAを追い求めて...
https://youtu.be/6VNoXAgZw5M

を、公開しました。

今回の神旅は、
奈良県磯城郡田原本町大字蔵堂に鎮座する
(ならけんしきぐんたわらもとちょうくらどう)

村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにいます みふつひめ じんじゃ)に参りました。

一般の方は、大神神社の大物主とその妃、三穂津姫(みほつひめ)が祀られており
『縁結びの神』『内助の功の神』
大神神社の別宮と呼ばれ
大神神社を参るなら、村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)も
『片参りにならないように、一緒に参りましょう』と参拝される方が多いようですが…

神旅は、『別の思い』で参りました。

村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)
呼称『村屋神社』は、『守屋家』が代々宮司を務められ
境内摂社に、その祖神を祀られています。

その摂社名は
『物部神社』

ご祭神が、御炊屋姫命と宇麻志摩遲命
長髄彦の妹の『御炊屋姫命』と饒速日との間に生まれた『宇麻志摩遲命』

そして、配祀神(はいししん)として『物部守屋大連』が祀られているのです。

一『長髄彦』を崇拝する者として
村屋坐彌冨都比賣神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)を訪れた次第です。

『これは、序章に過ぎません...』

3 months ago (edited) | [YT] | 132



@kzn3720

弥冨都比売命と三穂津姫命は同一人物である。 三穂津姫命は布波能母遅久奴須奴神(大国主)が高齢となって娶った最後の后であり、親子ほどの年の差があった。三穂津姫命は高皇産霊神の血を引いており、夫である布波能母遅久奴須奴神とも近い血縁関係にあった。二人は出雲大神宮に祀られている。二人の間には深淵之水夜礼花神(三代目 事代主 恵比寿神)が生まれたが障害があった。恵比寿神には逸話が色々あるものの、耳は遠く、発語障害があり、いつも片足を曲げており、一寸法師の異名ももつ。体が不自由だったであろう。それでも大国主は三代目 事代主を溺愛しており、病を治すために道後温泉を訪れたり、丹を含め様々な医薬を試した事から、医薬の神とも同一視されるようになった。大国主は三代目 事代主に政権も譲ったが、政治判断能力が十分でなく実際には三穂津姫命や周囲が補佐していた。しかし次第に求心力が衰え、国譲りが起こった。 三代目 大乙貴 淤美豆奴神(御年神・武位起命)は国譲りの時に阿曇族に担ぎ上げられた神である。父は大歳神(初代 饒速日・五十猛命)、母は高(照)比売命であり葛木御歳神社で主祭神の相殿になっている。高(照)比売命=香用比売命である。高比売命は阿遅鋤高日子根神の実妹であるから、布波能母遅久奴須奴神(大国主)と多岐都比売命の娘である。つまり淤美豆奴神は、布波能母遅久奴須奴神と五十猛命の血を引いており、国譲りで担ぎ上げられるに足る血筋であった。 津狭命(武甕槌神のモデルの1人・別名 神狭命)と櫛甕前命(稲背脛命)らが、三代目 事代主命に国譲りを迫った。この時、建御名方命は抵抗したが敗北した。建御名方命は、布波能母遅久奴須奴神(大国主)と奴奈川の豪族の姫の子である。建御名方命は鯰を眷属とし、諏訪に撤退する際にも鯰に助けられている。つまり鰐族の血を引いており阿曇族ではないのである。国譲りが成功すると、大和国は淤美豆奴神が収めた。一方、黄泉国は八島士奴美の討伐以降、阿遅鋤高日子根神の親戚が治めていたが、これに代わって櫛甕前命の一族が治めることとなった。ここからしばらく四隅突出型墳丘墓が本格化していく。神話で因幡素兎が毛皮を剥がされ鳥肌になったり、治ったりするのはこの権力の移り変わりを意味している。そして美保神社の事代主が鶏が大嫌いな理由もそこにある。 国譲り後に、淤美豆奴神(初代 大物主)は権威を保つため、三穂津姫命をそのまま后に迎えた。よって弥冨都比売命と三穂津姫命は同一人物である。 ちなみに神武天皇と対峙した饒速日は天之冬衣神である。4代目 事代主であり、2代目 大物主であり、饒速日としては4代目にあたる。

3 months ago | 0