京王トレインCh
次の旅動画の台本モドキ(このシーン以外台本無し{})♠ はいというわけで さっささささあっきの トプナン証明するために ヤ-ヤコシヤ-なー 阪急5000系の 組み換え歴モドキを 解説していきましょう♥ なんかいきなり始まったんだけど?♠ てなわけでまずは1968年の 1・2月と7・8月 1969年2月に3両編成を2本つないだ 6両編成の7本42両が ナニワ工機から召喚されました 続いて1969年11月に 連結開放運用を行うために 増結2両セットが2本召喚されました そのあとラスナンの5012Fを 7両変死絵にして(?) 宝塚線にぶち込みたくなったので 5550形のT車を 5563号車の1両だけ召喚しましたが なんか運転上扱いにくかったらしく 神戸線に逆戻りさせたせいで 結果5551~5562が欠番となりました そして5014F以降の増備も考えてたらしいですが 冷房付けろ付けろうるさくなってきたので 新たに5200系を作って 5014Fは無かったことになりました こうして5000系は 神戸線用に 6両6本と 宝塚線用に 7両編成1本で "一旦は"まとまりました♥ "一旦は"の時点でもう既に嫌な予感がするわ...。♠ とまぁその後1970年末より神戸線で 連結開放運用が始まってしまいまして こちら6両編成の梅田側から 1両目と2両目の間に さっきの増結2両セットをぶち込んで 無理矢理8両にされましたが 直通先の山陽電車線内が6両までしか入らないので 三ノ宮でケツ2両切り離し乗り入れてました これに伴い早速トプナン(5000F)とセカナン(5002F)の編成が崩され さっき言ったように梅田側から見て1両目と2両目の間にさっきの増結2両セットがぶち込まれました ちなみに連結開放運用が始まる前までは普通に8両編成として使ってました 一方5004Fは5200系が製造されたのに伴い暫定的に3両ずつに切り離して 5004Fと5005F状態にし うち5004Fは梅田側に5201Fから5741と 5711を引っこ抜いた5両をくっつけ 5005Fは元から5両編成だった5202Fをくっつけて どっちも8両編成にしました そして5006Fは5004Fのように 3両ずつへの切り離しはせずさっき5004Fを8両するときに 5201Fから引っこ抜かれた2両を5006Fの 梅田側から見て2両目と3両目にぶち込んで8両化しました ちなみに5004Fと5005Fは5200系に電連装備してたので連結開放運用に使われました そして1971年になると1編成だけ7両にされ 宝塚線に行かされた5012Fが神戸線に戻り 5200系は5203Fが製造されたので また編成組み換えが発生しやがりました まず手始めに一旦5012Fを3両と4両に分割して 5012Fと5013Fに分けたのち5004F~5006Fの やっつけ8両編成を解いて元に戻した代わりに 5005Fと組んでた5202Fが5012Fに 新しく作られた5203Fが5013Fにくっつけられ8両にされました そのまま6年が過ぎ1977年12月 連結開放運用が6000系に置き換えられることになり それに先立って同年3月に5000系のやっつけ8両と せっかく戻した6両もろとも大胆に4+4両の8両5本にするべく ほぼ全部の編成を組み換えやがりました() 普通に組み替えるだけならよかったんですが どうやらT車を5563号車の1両だけしか作らんかったせいで 車両不足がヤバかったらしいですが もう全部召喚し終わってからだいぶ時間経ってるので 同時期に機器の構造が複雑だった2021系もとい2071系の編成解除と T車化工事してたらしいのでそれを5550形の代用として5000系に組込 うち5001Fと5004Fと5006Fは比較的まともな位置に組み込まれましたが 5000Fと5002Fは見事に変則編成となったらしいです もうわけわからん しかも無理矢理2021系と5000系をくっつけたせいで貫通路の幅が合わなくて 改造で幅を狭めるためのアダプターを無理矢理取り付けたとか とまぁそんなわけわからん組み替えから2年後の1979年に 他の8両が4M4Tなのに対し6M2Tのままになってた 5200系との混結編成がまた編成組み換えして 6両にされてようやく5012Fが元の5012Fになったみたいです ちなみに余った5563号車は5202Fの 梅田側から見て5両目と6両目に組み込んだみたいです これで終わればよかったんですがこれが終わらず 同年に6両のまま残してた3編成もついでに増結して全部が8両編成になったみたいです もともとその6両今津線の今津ー宝塚間で運用してたらしいですが 西宮北口のホーム延長したせいでダイヤモンドクロスぶっ潰されたので 2000系と入れ替える形で全部集合させるついでに これまたあいだに2000系のほか2071系と 2800系を挟むというわけわからん組み替えして8両にしたみたいです しかし残念なことに5年後の1984年5月に 六甲駅でウテシがATS切って信号無視し そのまま副本線から本線に出してた上り回送の山陽車(3064F)4両が 本線上を通過してた高速神戸発梅田行の2000系(2050F)8両の 特急とごっつんこしたらしくうち2050Fの前3両と3064Fの 全車両が脱線して山陽車(3064F)は多分軽傷やったけど 阪急車(2050F)は横転しなかったものの 2050号車が廃車された影響で急遽代車を手配することになり 他形式を巻き込んだ組み換えが行われたようで これにより5010Fの2171号車が3100系の編成にぶち込まれ 代わりに2800系の2886号車が同じ位置にぶち込まれました いい加減コレで組み替え終わってほしいんですが 六甲駅でごっつんこしてから3年後の1987年に 車体更新の進捗に伴って5010Fと5012Fは 改装時に対象から外れた2800系中間車を差し替えるために また編成組み換えを実施しやがりました ちなみにこの組み換えによって 8年ぐらい謎に5200系に組み込まれてた 5563号車がようやく5000系に戻り 代車でぶち込んでた2886号車と交換する形で帰ってきました んで追い出された2886号車は5200系の元々5563号車が 組み込まれてた位置にぶち込まれたみたいです これでリニューアル工事前の組み換え解説が終わりました ♥ こんだけ長々解説してまだあんの!? ♠ いうてもリニューアル工事始まったの2000年で もうあと新1000系増備による今津北線転属だけですがね てなわけでリニューアルに際して2000系T車に代わって 同様の工事を受けた5100系T車 5650形のちの5580形をぶち込んでこんな感じになりました 駄菓子菓子5012Fだけ2003年に 三回増(?)のまま同じく未改造の5650形をくっつけて 2071系を置き換えるついでに編成替えをしました そのまま5012Fはリニューアルまでの約1年間この編成で運用したみたいです そして現代に近づき2016年5月に5010Fが 新1000系の増備に伴って5580・5581号車のT車2両を ぶっこ抜いた6両編成になりまして今津北線専用車となりました その後続くように(2016.6)5004F、(2017.4)5006F、(2017.7)5002F、(2017.10)5012F、(2018.4)5008F、(2018.7)5001Fの順で 段々今津北線と転職していきそこにいた3000系と3100系と7000系を置き換えました ちなみにぶっこ抜かれたT車2両セットは重機の餌になりました こうしておそらくすべての編成組成の変遷を解説し終わったと思います なのでさっき見た5001は誰が何と言おうとトプナンです♥ それ言うなら最初からそれだけでよかったんじゃないの?というかここの編集にこだわったせいで編集開始から2箇月経ってんのに未だに今回のメイン出てきてないのどうなってんのよ!!
2 days ago | [YT] | 7
京王トレインCh
次の旅動画の台本モドキ(このシーン以外台本無し{})
♠ はいというわけで
さっささささあっきの
トプナン証明するために
ヤ-ヤコシヤ-なー
阪急5000系の
組み換え歴モドキを
解説していきましょう
♥ なんかいきなり始まったんだけど?
♠ てなわけでまずは1968年の
1・2月と7・8月
1969年2月に3両編成を2本つないだ
6両編成の7本42両が
ナニワ工機から召喚されました
続いて1969年11月に
連結開放運用を行うために
増結2両セットが2本召喚されました
そのあとラスナンの5012Fを
7両変死絵にして(?)
宝塚線にぶち込みたくなったので
5550形のT車を
5563号車の1両だけ召喚しましたが
なんか運転上扱いにくかったらしく
神戸線に逆戻りさせたせいで
結果5551~5562が欠番となりました
そして5014F以降の増備も考えてたらしいですが
冷房付けろ付けろうるさくなってきたので
新たに5200系を作って
5014Fは無かったことになりました
こうして5000系は
神戸線用に
6両6本と
宝塚線用に
7両編成1本で
"一旦は"まとまりました
♥ "一旦は"の時点でもう既に嫌な予感がするわ...。
♠ とまぁその後1970年末より神戸線で
連結開放運用が始まってしまいまして
こちら6両編成の梅田側から
1両目と2両目の間に
さっきの増結2両セットをぶち込んで
無理矢理8両にされましたが
直通先の山陽電車線内が6両までしか入らないので
三ノ宮でケツ2両切り離し乗り入れてました
これに伴い早速トプナン(5000F)とセカナン(5002F)の編成が崩され
さっき言ったように梅田側から見て1両目と2両目の間にさっきの増結2両セットがぶち込まれました
ちなみに連結開放運用が始まる前までは普通に8両編成として使ってました
一方5004Fは5200系が製造されたのに伴い暫定的に3両ずつに切り離して
5004Fと5005F状態にし
うち5004Fは梅田側に5201Fから5741と
5711を引っこ抜いた5両をくっつけ
5005Fは元から5両編成だった5202Fをくっつけて
どっちも8両編成にしました
そして5006Fは5004Fのように
3両ずつへの切り離しはせずさっき5004Fを8両するときに
5201Fから引っこ抜かれた2両を5006Fの
梅田側から見て2両目と3両目にぶち込んで8両化しました
ちなみに5004Fと5005Fは5200系に電連装備してたので連結開放運用に使われました
そして1971年になると1編成だけ7両にされ
宝塚線に行かされた5012Fが神戸線に戻り
5200系は5203Fが製造されたので
また編成組み換えが発生しやがりました
まず手始めに一旦5012Fを3両と4両に分割して
5012Fと5013Fに分けたのち5004F~5006Fの
やっつけ8両編成を解いて元に戻した代わりに
5005Fと組んでた5202Fが5012Fに
新しく作られた5203Fが5013Fにくっつけられ8両にされました
そのまま6年が過ぎ1977年12月
連結開放運用が6000系に置き換えられることになり
それに先立って同年3月に5000系のやっつけ8両と
せっかく戻した6両もろとも大胆に4+4両の8両5本にするべく
ほぼ全部の編成を組み換えやがりました()
普通に組み替えるだけならよかったんですが
どうやらT車を5563号車の1両だけしか作らんかったせいで
車両不足がヤバかったらしいですが
もう全部召喚し終わってからだいぶ時間経ってるので
同時期に機器の構造が複雑だった2021系もとい2071系の編成解除と
T車化工事してたらしいのでそれを5550形の代用として5000系に組込
うち5001Fと5004Fと5006Fは比較的まともな位置に組み込まれましたが
5000Fと5002Fは見事に変則編成となったらしいです
もうわけわからん
しかも無理矢理2021系と5000系をくっつけたせいで貫通路の幅が合わなくて
改造で幅を狭めるためのアダプターを無理矢理取り付けたとか
とまぁそんなわけわからん組み替えから2年後の1979年に
他の8両が4M4Tなのに対し6M2Tのままになってた
5200系との混結編成がまた編成組み換えして
6両にされてようやく5012Fが元の5012Fになったみたいです
ちなみに余った5563号車は5202Fの
梅田側から見て5両目と6両目に組み込んだみたいです
これで終わればよかったんですがこれが終わらず
同年に6両のまま残してた3編成もついでに増結して全部が8両編成になったみたいです
もともとその6両今津線の今津ー宝塚間で運用してたらしいですが
西宮北口のホーム延長したせいでダイヤモンドクロスぶっ潰されたので
2000系と入れ替える形で全部集合させるついでに
これまたあいだに2000系のほか2071系と
2800系を挟むというわけわからん組み替えして8両にしたみたいです
しかし残念なことに5年後の1984年5月に
六甲駅でウテシがATS切って信号無視し
そのまま副本線から本線に出してた上り回送の山陽車(3064F)4両が
本線上を通過してた高速神戸発梅田行の2000系(2050F)8両の
特急とごっつんこしたらしくうち2050Fの前3両と3064Fの
全車両が脱線して山陽車(3064F)は多分軽傷やったけど
阪急車(2050F)は横転しなかったものの
2050号車が廃車された影響で急遽代車を手配することになり
他形式を巻き込んだ組み換えが行われたようで
これにより5010Fの2171号車が3100系の編成にぶち込まれ
代わりに2800系の2886号車が同じ位置にぶち込まれました
いい加減コレで組み替え終わってほしいんですが
六甲駅でごっつんこしてから3年後の1987年に
車体更新の進捗に伴って5010Fと5012Fは
改装時に対象から外れた2800系中間車を差し替えるために
また編成組み換えを実施しやがりました
ちなみにこの組み換えによって
8年ぐらい謎に5200系に組み込まれてた
5563号車がようやく5000系に戻り
代車でぶち込んでた2886号車と交換する形で帰ってきました
んで追い出された2886号車は5200系の元々5563号車が
組み込まれてた位置にぶち込まれたみたいです
これでリニューアル工事前の組み換え解説が終わりました
♥ こんだけ長々解説してまだあんの!?
♠ いうてもリニューアル工事始まったの2000年で
もうあと新1000系増備による今津北線転属だけですがね
てなわけでリニューアルに際して2000系T車に代わって
同様の工事を受けた5100系T車
5650形のちの5580形をぶち込んでこんな感じになりました
駄菓子菓子5012Fだけ2003年に
三回増(?)のまま同じく未改造の5650形をくっつけて
2071系を置き換えるついでに編成替えをしました
そのまま5012Fはリニューアルまでの約1年間この編成で運用したみたいです
そして現代に近づき2016年5月に5010Fが
新1000系の増備に伴って5580・5581号車のT車2両を
ぶっこ抜いた6両編成になりまして今津北線専用車となりました
その後続くように(2016.6)5004F、(2017.4)5006F、(2017.7)5002F、
(2017.10)5012F、(2018.4)5008F、(2018.7)5001Fの順で
段々今津北線と転職していきそこにいた3000系と3100系と7000系を置き換えました
ちなみにぶっこ抜かれたT車2両セットは重機の餌になりました
こうしておそらくすべての編成組成の変遷を解説し終わったと思います
なのでさっき見た5001は誰が何と言おうとトプナンです
♥ それ言うなら最初からそれだけでよかったんじゃないの?
というかここの編集にこだわったせいで編集開始から2箇月経ってんのに
未だに今回のメイン出てきてないのどうなってんのよ!!
2 days ago | [YT] | 7