本会は、古流から現代居合など複数の剣術流派での稽古の経験をもとに、流派の継承と古流復古、仮標試斬における身体操作の研究、対敵武術としての大和心の追究、日本刀の歴史や構造の研究と文化財としての保護を目的とする武術研究団体である。
抜刀・抜き付けの直前の「鞘ノ内からの起こり」を会名の由来としている。
我々が追究すべき事の起こりと、道教における魔除けの神「鍾馗(ショウキ)」の音を拝借し、それを会名として称することとした。それというのも、かつて我々の属していた道場が、広義での「疫病神」にとり憑かれ、没落・退廃してしまった教訓から、道場名自体に魔除けの言霊を持たせることとした次第である。
大東亜戦争敗北後のわが国の武術は、GHQによる武道禁止の指針により危機に瀕した。
その後、武術はスポーツ的な武道という存在として存続を許されたが、アメリカナイズされた文化の流入を止められず、古来の武術に対する価値観がことごとく覆され、日本が誇る武道の世界においても欧米的個人主義が蔓延している。
それは、古流復古を目的とする我々にとっては排斥すべき価値観であり、古流復古こそが我が国のあるべき姿の復古につながると信じてやまない。
我が郷土の朴訥で誠実な人柄は、大和心の名残である。
大和(やまと)とは、小さな和の集合体。
大いなる和のことである。
大和心は、おおらかに多様な者を受け入れるが、時として小さな和を乱す危険性のある者を排除することもある。それは、大いなる和を守るためであり、和には、越えてはならない一線があるのである。
我々の稽古している居合術の業の中には、敵となる者と正座で対峙することが想定されているものがある。
それは、はじめから敵を斬り倒そうとしているのではなく、まずは話し合おうとしているからだと我々は解釈している。居合の極意は「鞘ノ内」と呼ばれるものであり、白刃を抜かずして事をおさめることが究極の目標である。そして、斬りすぎず、勝ちすぎない「和」を持ち合わせた武術。これこそが、わが国の誇る武の特色であろう。
我々には流派の継承という責務があるが、それが呪縛とならないように技術的な刀法の研究を深め、また、大和心を柱として本会を運営していく次第である。
無雙直傳英信流 真剣道稽古会 鞘起舘
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