水平分業を制度として定着させた象徴が、台湾積体電路製造(TSMC)である。同社は自社サイトで、1987年の創業時に「Dedicated IC Foundry(専業ファウンドリ)モデル」を創出したと明記している。 半導体の工場(ファブ)は世代が進むほど建設・装置投資が巨額化し、稼働率を高水準に保てない企業は採算が崩れやすい。TSMC型の専業モデルは、世界中のファブレス顧客を束ねることで投資を集中し、プロセス立ち上げ速度と学習曲線を加速させた。Morris Chang(張忠謀)がこの構想の立役者として評価されてきた点も、IEEEの人物記事などで確認できる。
Magiqych
胸が痛むという言葉がある。それ自体の意味は何か悲しいことが起きてそれを悲しむという意味である。
私は諸事情により熊本を離れ、兵庫に帰郷することとなった。
実のところ、これ自体は悲喜交々であり、胸が痛むという言葉の定義から外れるものであるが、その言葉が指し示す比喩的用法ではなく、私の心身に起こったことを寸分狂わず描写するために、この言葉を誤用と承知で使用するものである。
私は半導体メーカーへの転職で兵庫を離れ、熊本に越した。
このことは実は副次的な目的もあり、母方の実家も九州にあるため、その祖父母に顔を出したり、彼岸などの節目節目で私が代理で参ることができたりしたものである。
私は熊本で釣りを覚えた。
昔、プリキュアという女児向けアニメの玩具などを紹介していたチャンネルが、釣りの動画を出すたびにチャンネル登録者が伸び、そちらの楽しさもあったが、やはり釣りという遊びはただ純粋に楽しいものである。
私は魚は確実に取るが、弱めのタックルで引き味を味わうのが好きだ。
トラウト用のULロッドで鯉をかけたときのやり取りはたまらない。
ドラグの走る音、鯉のトルクのある引き、上げる前のやり取り。
大型の魚は青物、スズキなど色々経験したが、今のところ一番好きな魚は鯉だ。
最初は釣具店で仕掛けを購入して、ミミズも買って、ブラックバスとブルーギル釣りを始めた。
これが面白いほど釣れた。
今思えばオールラウンダーな硬めの竿、淡水には大きすぎる4000番リールをつけて、見よう見まねでやっていたが釣れるのだから面白い。
次第にキャスト用に重さのあるフカセウキ、エサはドバミミズの生態を研究し自分で採るようになり、仕掛けも自作するようになった。
道糸もナイロンからPEに変わり、糸の結び方も覚えていった。
リールも2500番ほどになり、ロッドも軽く柔らかくなっていった。
淡水はある程度釣り飽きたので、今度は海水・汽水域の釣りにシフトしていった。
有明海は大きいときで潮位が4メートルも変化し、仕掛けを固定するために30号は当たり前の世界であり、淡水のそれと落差が激しいものであった。
淡水用のロッドだと長さは足りない、柔らかすぎるで使い物にならなかった。
淡水と海水では仕掛けの根本的な理論が異なるように感じる。
そうした中でまず汽水域の攻略に入っていった。
硬めのパワーのある竿、ブッコミ仕掛け、ただ硬い竿だと今度はアタリを弾いてしまうのでクッションゴムを仕掛けに組み込んだり、創意工夫が楽しかった。
釣りの仕掛けは実地で試さないと意味をなさない。
ある程度、正解と呼べる領域に達するには、トライ・アンド・エラーの繰り返しだったが、これがまた私をのめり込ませた。
時間が前後するが、サヨンバネでアカエイの引きに夢中になっていた時、アタリがなかったため、たまたま投げたラパラCD7のレッドヘッドにそこそこ良型のヒラがかかった。
この魚が私が初めてルアーで釣った魚になる。
釣りという遊びは実に奇妙なもので、前述のスズキのブッコミ釣りの仕掛けが一定完成し、釣れすぎるようになると途端にブッコミ釣りがつまらなくなった。
そこで、ルアーでスズキを狙うようになる。
最初はセドナで投げていたが重いので腱鞘炎のような状態になる。
そこでリニューアルオープンした釣具のポイント 熊本富合店でカルディアに出会う。
幾つか小さなセイゴのバラシはあったものの上げることはできなかった。
私はブッコミ釣りからルアーに入ったので、ブッコミ釣りの魅力は30号以上の錘のついた仕掛けをぶっ飛ばす爽快感から、ルアーはメタルバイブ一択になった。
私がルアーで釣った最初のスズキは雨の日の坪井川、サルベージプレートのレッドヘッドESで釣った。
余裕のランカーであった。
その時のルアーは今もリーダーとスナップ付きで残している。
すぐに蘇生したがヒックリ返ってしまい泳いでいかない、仕方なく締めて魚屋で捌いてもらった。
味に関して言えば申し訳ないが私はスズキを美味いと感じたことはない。
同じ系統の魚ではイシモチは口に入れた瞬間、脳内に確実に快楽物質が出ているのを実感できるのに何故かスズキは美味いと感じたことは一度もない。
ただ流石魚屋さんに捌いてもらっただけあって臭みは一切感じなかった。
青椒肉絲にしたり、色々工夫をして食べきった。
次に釣り上げたのは白川の有名な堰である。
スレではあるがメートルは確実にあった(足から身長172cmのわたしの一番下の肋骨程まであったので110cmは確実にあったのではないか)。
ただ先のランカーの蘇生失敗の経験から、計測はせず即座に蘇生してリリースを最優先にしたため(いや本当にスズキって不味くはないけど美味くもないのよ)、測定していない。
そのためか、すぐに元気になって川に返っていった。
正直に言おう、スズキに関してはこの2匹目をキャッチしてスズキの引きに物足りなさを感じた。
ランカークラスでも鯉のようなトルクフルな引きはしない。
これは、実は当然かなと思う部分も多い。
サバンナで肉食動物は瞬発力はあるが持久力に劣る、草食動物を襲っても瞬発力で仕留めなければ逃げられてしまう。
同様にスズキもフィッシュイーターであるがため瞬発力があるが持久力はない。
鯉と比べて引き味が極端に悪いため、あれだけ熱中したのが嘘のようにシーバスゲームに興味がなくなってしまった。
それならば、青物だと。ショアジギングに今度はハマった。
最初は40gほどの軽くて小さなジグで40cm程の小さなブリの幼魚を釣り上げたが、これもブッコミ釣りの延長からかっ飛ばすのが快感になり、100g、160gとジグのウェイトが重くなるにつれてそれに対応する竿を購入したりした。
それと同時期に五島列島に移住を検討したり、阿久根、平戸に遠征したりして平戸ではシイラらしいバイトと、ヒラマサらしいチェイスが1回あったり、熊本ではサワラ、タイなどを釣ったりした。
こう、思い返してみれば最初が淡水のライトゲームで徐々にタックルがゴツく重くなっていったのだなと思う。
一つの釣りに熱中して飽き、熱中して飽きを繰り返して、少なくともショア(オカッパリ)でやることのできる釣りはあらかたやり尽くして飽きたというのが大きいのかもしれない。
もしかすると、釣りという趣味自体に飽きたのかもしれない。
一旦、帰郷して自分自身を見直し、資金を貯めようと思うようになった。
諸行無常であり万物は流転する。
私がルアーで初めて魚を釣ったサヨンバネは去年の豪雨で壊滅的な被害を受け、現在取り壊しか復旧工事中で立入禁止になった。
平戸川と緑川の合流地点も護岸工事でエントリーがしづらくなった。
現在、緑側の有名スポットの平木橋も同様の護岸工事をしており、合流地点の工事の結果を鑑みてもエントリーは確実にしづらくなるものと思われる。
六間堰も現在工事中である。
護岸工事を批判するものではない。
私は令和2年7月豪雨の災害ボランティアとして人吉に2度足を運んだ。
水は当たり前だが水は高きより低きに流れる。
そこに仏壇やアルバム等といった、住民にとって心の拠り所になるような大事なものがあろうと関係なく、無遠慮に破壊する。
その非情さ、怖さを実感しているがため護岸工事は必要であるとは思う。
しかし、有名な釣り場の幾つかはエントリー不可、もしくは困難になるであろうことも同時に予想される。
ただ、もっこすアングラーがその程度で諦めるとも思えないという未来への希望もある。
長くなってしまった。
昨日、今日とサヨンバネをはじめ、様々な思い出の地を巡って頭を下げてきた。
私に釣りの楽しみを教えてくれた熊本。かれこれ8年近くはいただろうか。
様々な思いが胸に去来する。
今日、合津港で実に人懐っこい猫にであった。
耳に三角の切込みがあるので去勢済みということなのだろう。
大津町に住んでいたときに飼っていた愛猫のことが思い出されて、非常にセンティメンタルな気分になったものだ。
いろんな経験をさせてもらった、色々な人に出会った、愛し、愛された、時には悪意を向ける人も当然いた。
生きるために働いて、生きるために食べて、生きるために釣りをして、というのは少し大げさかもしれない。
この8年は言ってしまえば長い九州への旅だったのだ。
「帰るべき場所に帰る」という、三流ドラマでも採用されないであろう良くある話である。
帰るべき場所があるというのは、当然のことではないので感謝しないといけないが。
最後に、愛猫のことである。
ペットロスは心にぽっかり穴が空いたような、この駄文の冒頭の胸の痛みを伴うものである。
私は今日の運転中ずっと思いを巡らせていた。
結局、心に空いた穴は絶対に埋まらないのだろうと思った。
その痛みは私が生きているという記しであるし、彼女が私にそれだけのものを与えてくれていた証左なのだから。
これからも、私は幾つも心の穴を増やし続けて痛みを感じながら生きていくのだろう。
けれどもその痛みはきっと時間が和らげてくれる。
人は『忘れる』葦であるのだから。
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Magiqych
🙌
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Magiqych
よきよき
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Magiqych
ナショナリズムの起こり――「国民」はいつ、どう作られたのか
いま私たちが当然のように口にする「国民」や「祖国」への忠誠――その感覚は、じつは近代に入ってから形を整えた“新しい常識”だ。ナショナリズムとは、個人や階級、宗派などよりも「国民国家への義務・忠誠が優先する」とする思想である。
では、その思想が広がる前のヨーロッパは、どんな世界だったのか。ドイツやイタリアが「文化圏としては古いのに、統一国家としては遅れた」理由はどこにあるのか。鍵は、国境を越える“おおらかな”知の回路が、ある時期から「国民」という想像の枠に組み替えられていった点にある。
国境より「都市」「王朝」「知のネットワーク」だった時代
ルネサンス期の政治思想家マキャベリは、近代国家の国民ではなく、フィレンツェ共和国の官僚(書記)として都市国家の現実政治を見つめた人物だ。生まれも死もフィレンツェで、彼の視野の中心にあったのは「イタリア国民」より、同盟、教皇、列強、傭兵といった流動的な権力の綱引きだった。
同時代の学問世界を象徴するのがエラスムスである。ロッテルダムに生まれ、各地を移動しつつ著作と編集で影響力を広げ、晩年はバーゼルで没した。肩書きは「オランダ人」というより、ラテン語で結ばれた学者圏=キリスト教世界と学芸共同体の住人だった。
さらに17〜18世紀になると、手紙・写本・出版を介して国境を越えてつながる「共和国(レプブリカ)・オブ・レターズ(文芸共和国)」が広がる。ここでは、どの国の人間か以上に、誰と往復書簡を交わし、どのサークルで議論するかが重要だった。
この段階までのヨーロッパで人々の忠誠の軸は、国家よりも、宗教、身分、都市、王朝、そして知のネットワークに置かれやすかった。
「想像の共同体」へ――活字が“同胞”を量産した
転機を説明するのに有効なのが、ベネディクト・アンダーソンの「想像(幻想)の共同体」という見立てだ。国民とは、顔も知らぬ多数が、同じ共同体に属していると“想像”することで成立する。では、その想像は何で支えられたのか。アンダーソンが重視したのが、新聞や書籍が大量流通する「印刷資本主義」と、ラテン語ではなく各地の俗語(独語・伊語など)で読まれる“共通の読書空間”の拡大である。
要するに、同じ言語で同じニュースを読み、同じ出来事を「同じ時代の出来事」として共有する人々が増えるにつれ、宗派や身分をまたいで「われわれ」という輪郭が太くなる。そこへ教育、官僚制、徴兵、交通網などが重なり、想像が日常の実感へと変換されていく――これが、ナショナリズム勃興の下地となった。
それでも統一国家は遅れた――ドイツとイタリアの「政治の詰まり」
文化と言語のまとまりが育っても、政治統合には別の条件が要る。ドイツ語圏とイタリア語圏が典型だ。
ドイツ:帝国は「国家」になりきらなかった
中世以来、ドイツ語圏を覆った神聖ローマ帝国は、ブリタニカが「西中欧にまたがる変動する複合的な領域」と表現するように、近代的な中央集権国家というより諸領域の集合体だった。
ナポレオン戦争後、1815年に成立したドイツ連邦も、相互防衛のための「緩い政治的結合」で、中央の行政府も司法も持たなかった。
つまり「国民国家の器」が弱いまま、主権と利害が各邦に分散し続けたのである。
この停滞を突き崩した一つの回路が経済統合だ。1834年、プロイセン主導で関税同盟ツォルフェラインが成立し、ドイツの広い範囲に自由貿易圏が形作られ、統一への重要な一歩と見なされるようになる。
その後、統一は思想の自然発火だけでなく、戦争と外交、覇権国家(プロイセン)の主導によって政治統合へと“収束”していった。
イタリア:半島を割る教皇領と列強の介入
イタリア側の障害はさらに地政学的だった。教皇領は半島を南北に分断し、統一の障害となっただけでなく、教皇の独立を守る名目で外国勢力が介入しやすい構造を生んだ。
そのなかで、統一運動リソルジメントは思想・文学運動として国民意識を喚起し、政治過程を押し動かす。
決定的局面の一つが1859年、第二次イタリア独立戦争の一環であるソルフェリーノの戦いで、オーストリア軍に対する勝利がロンバルディアの併合につながり、統一へ大きく前進した。
こうしてイタリアもまた、国内の蜂起だけではなく、同盟と戦争を通じて「国家の器」を現実のものにしていく。
「おおらかな越境」から「国民国家の時代」へ
マキャベリやエラスムスの世界では、政治の単位は都市国家や王朝であり、知の回路は国境を越えて張り巡らされていた。
しかし近代に入ると、活字と言語の標準化が「同胞」の輪郭を太くし、国家が教育・行政・軍事でその輪郭を制度化する。ナショナリズムは、こうして“想像”と“制度”が噛み合ったところで、社会の強力な動員原理として立ち上がった。
ドイツとイタリアの統一が遅れたのは、想像の共同体が育たなかったからではない。むしろ育っていたからこそ、最後は経済統合や戦争・外交によって政治統合へ収束し、19世紀のヨーロッパ地図を塗り替えることになった――歴史はそう告げている。
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Magiqych
日本半導体の敗因
垂直統合の成功体験、水平分業への転換遅れ、そしてEUVという関門
【熊本】日本の半導体産業が最先端の主戦場から後退した過程は、単一の失策というより、世界の競争軸が「量産力」から「事業モデルとエコシステム」へ移った局面で生じた構造的な取り残され方として捉える方が説明力が高い。勝ち筋は、垂直統合(IDM)とメモリ量産の最適化から、ファブレス(設計)とファウンドリ(製造)による水平分業、さらに微細化の鍵を握るEUV露光の寡占へと移った。日本勢は、この三重の変化に同時に適応することが難しかった。
「専業ファウンドリ」が産業の地形を塗り替えた
水平分業を制度として定着させた象徴が、台湾積体電路製造(TSMC)である。同社は自社サイトで、1987年の創業時に「Dedicated IC Foundry(専業ファウンドリ)モデル」を創出したと明記している。
半導体の工場(ファブ)は世代が進むほど建設・装置投資が巨額化し、稼働率を高水準に保てない企業は採算が崩れやすい。TSMC型の専業モデルは、世界中のファブレス顧客を束ねることで投資を集中し、プロセス立ち上げ速度と学習曲線を加速させた。Morris Chang(張忠謀)がこの構想の立役者として評価されてきた点も、IEEEの人物記事などで確認できる。
一方、日本企業の多くは、設計から製造までを自社内に抱え込む垂直統合を基本形としてきた。80年代のメモリ(とりわけDRAM)中心の競争では、プロセス改善・歩留まり・品質を社内で擦り合わせるモデルが強く作用した。しかし、ロジック/SoCが主戦場化し、設計資産(IP)とソフトウェア適合が価値を左右する度合いが増すほど、水平分業の機動力が相対優位となる。RIETIの研究も、日本の競争力低下要因として「事業モデル転換の取りこぼし」を含む構造的な論点を整理している。
“自前主義”の副作用──分散投資と再編の遅れ
水平分業の世界では、製造は「巨大投資の一本化」と「顧客多様性による稼働率」が勝敗を分ける。ところが日本勢は、企業グループ内需要(いわゆるキャプティブ)を前提にした設備・製品構成から抜け出しにくく、投資の分散と重複を招きやすい。結果として、先端世代で必要な規模の投資を継続しづらくなった。
この圧力は企業再編として表面化した。2009年には日立製作所・NEC・三菱電機が、半導体事業統合(後のルネサス形成)に向けた枠組みを公表している。 2010年には、NECエレクトロニクスとルネサステクノロジの合併によりルネサス エレクトロニクスが発足した。
一方で、メモリではエルピーダメモリが2012年に破綻し、米Micronが買収する展開となった。 これらは「日本が全否定された」というより、投資負担の重い領域ほど、単独での生存が困難になった現実を示す。
決定打はEUV──「微細化の通行証」を握れなかった
最先端ロジックの量産競争を決定づけたのが、EUV(極端紫外線)露光である。CSETのケーススタディは、EUVを「過去10年で最重要の技術」と位置づけ、2019年にEUVを用いた商用製品が登場した流れを整理している。
サムスン電子も2019年時点で、EUVベースの先端ノード開発・量産の進展を公表している。
EUVが“関門”である理由は、露光装置が単体の機械ではなく、光源・光学・真空・制御・材料が噛み合う「超複合システム」だからだ。ZEISSは公式解説で、TRUMPFの高エネルギーCO₂レーザーがスズのプラズマを生成しEUV光を発生させ、その光をZEISSのコレクタでビーム化する、と工程を明記している。
TRUMPF側も、真空中でスズ液滴にレーザーパルスを当てプラズマ化し、鏡でウエハに導く仕組みを説明する。
ASMLは、EUVでは光が物質に吸収されるためレンズではなく多層膜ミラーを用いること、そしてZEISSが戦略パートナーであることを自社技術ページで明記している。
このエコシステム統合を加速した象徴が、ASMLによる光源大手Cymerの買収だ。ASMLは2012年の発表で、Cymer(露光光源の主要供給者)を買収しEUV開発を加速するとしている。 さらに2016年には、ZEISS子会社Carl Zeiss SMTの株式取得とHigh-NA光学系の共同開発投資を公表し、次世代EUVへ踏み込んだ。
要するに、先端に居続けるには「装置単体の性能」ではなく「供給網ごとロードマップを握る」必要があり、日本勢はその中核を押さえきれなかった。
露光装置での劣後──Nikon・CanonとASMLの差
露光装置(リソグラフィ)での主導権喪失は、日本の先端離脱を固定化した。RIETIの分析は、最先端ArFスキャナをめぐるイノベーション速度の差などを通じ、Nikon・Canonの競争力がASMLに比べ弱まった状況を指摘している。
足元でも、Nikonが地政学要因を背景に事業の多角化を進めていることは英フィナンシャル・タイムズが報じている。
露光装置の覇者がASML一社となった現在、EUVは「代替が利きにくい装置」として位置づけられ、参入の経済合理性すら乏しい、との論点も報道で繰り返し指摘されている。
「敗北」は最先端量産、しかし“供給網の要所”は残った
ただし、日本の半導体が「全敗」したわけではない。最先端ロジック量産(leading-edge manufacturing)の主役からは後退したが、材料・装置・部材・計測など上流~周辺の強みは現在も厚い。
JETROは、東京エレクトロンがフォトレジスト塗布関連装置で高い世界シェアを持つ例を挙げ、日本の供給網の層の厚さを解説している。
またAMROのレポートは、シリコンウエハで信越化学とSUMCOが合計53%のシェア、フォトレジストでJSR・東京応化・信越化学・富士フイルム系が高いシェアを持つ、と整理している。
英FTも、日本が製造の主役ではなくとも材料・装置などで「ゲームに残っている」と論じ、ウエハやレジストなどでの強さを挙げている。
教訓──次の敗北を避ける条件は「役割の再定義」と「同盟の設計」
本質は、技術の優劣だけでなく、産業の設計図が書き換わる局面で「どこに集中し、どの連合に入るか」を決めきれたかどうかにある。EUVが示したのは、単独企業の技術力よりも、光源(TRUMPF/Cymer)、光学(ZEISS)、装置統合(ASML)という分業連合を束ね、ロードマップを握る側が、先端競争を支配する現実である。
日本が今後、最先端製造に再挑戦するにせよ、上流での優位を戦略資産として磨くにせよ、「何でも自前」ではなく、勝ち筋に沿った役割の再定義と、国際協業の設計が不可欠になる。
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Magiqych
良き良き
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Magiqych
抗菌薬という“見えない急所”──中国依存が生む医療のチョークポイントと、その値札
2026年1月、中国が日本向けに「軍民両用(デュアルユース)」品目の輸出を禁じる措置を打ち出した。対象は軍事用途・軍事ユーザー向けとされるが、輸出管理は往々にして“運用”が実務を縛る。品目を名指しせずとも、審査の厳格化や許認可の遅延だけで、サプライチェーンは詰まる。輸出管理が、外交カードとして機能し得ることを改めて示した格好だ。
このとき連想されがちなのはレアアースや半導体材料だろう。だが、より直接に社会の心臓部へ刺さる“急所”がある。抗菌薬、とりわけβラクタム系抗菌薬の原材料・原薬だ。厚生労働省の資料は、βラクタム系抗菌薬について「原材料のほぼ100%を中国に依存」している現状を明記し、供給途絶リスクを不断に点検する必要性を強調している。
もちろん現時点で、中国側が「抗菌薬原薬を禁輸する」と名指しで示唆した事実は確認できない。だが、依存構造そのものが「切ろうと思えば切れる」余地を相手に与えている。問題は“意図の読み合い”以前に、こちらの脆弱性が交渉の場に置かれ続けることだ。
なぜ抗菌薬は効くのか:代替が利きにくい「医療の前提条件」
抗菌薬は、感染症治療の薬である以前に、医療提供体制の前提条件だ。典型は手術で、術後感染を防ぐ予防投与は外科の安全設計そのものになる。2019年にセファゾリン(βラクタム系の代表格)の供給が落ち込んだ際、厚労省が行った医療機関アンケートでも「手術延期等あり」や「手術が必要な患者を受け入れられないことがあった」という回答が記録されている。
学術研究でも、2019年のセファゾリン不足が“代替”の連鎖を生み、広域抗菌薬への置換が進み、適正使用(抗菌薬の使い分け)に後退をもたらしたことが示されている。
言い換えれば、抗菌薬の供給不安は「薬が高くなる/手に入らない」だけでは終わらない。医療の設計そのもの(何を、どの手順で、安全に実施できるか)を揺らす。
さらに厄介なのは、在庫を厚くしづらい点だ。需要は流行で跳ねる一方、備蓄は期限管理とコストが重い。平時は薄利、しかし有事には必需──この“ねじれ”が、供給の脆い接点になる。
最悪のシナリオ:何が、どの順番で止まるのか
仮に、禁輸のような全面停止でなくとも、許認可の遅延、輸出審査の厳格化、特定工程の停止などでβラクタム系の原材料・原薬が実質的に詰まった場合、影響は段階的に表面化する。
第1段階(数日〜数週間)
まず影響が出やすいのは、手術時の予防投与などで大量に使われる基礎的な注射抗菌薬。現場は代替薬へ切り替えるが、代替は万能ではない。スペクトラム(効く範囲)が広い薬へ寄れば、耐性菌リスク・副作用・コスト・供給圧力が跳ね上がる。2019年の不足でも、抗菌薬の適正使用が後退し、市場が混乱したと結論づけられている。
第2段階(1〜3カ月)
予定手術の延期が常態化し、病床・手術枠・麻酔科・看護配置が目詰まりする。手術待機中の病状進行や、感染症の治療遅延が積み上がる。これは医療の“処理能力低下”であり、救急や重症対応の余力を奪う。
第3段階(3カ月〜)
代替薬の多用が続けば、AMR(薬剤耐性)対策そのものが揺らぐ。つまり供給不安は一時の混乱では終わらず、「効く薬が減る」方向へ、医療の難易度を恒常的に引き上げていく。
政府が抗菌薬を「供給途絶が国民生活・経済活動に甚大な影響を及ぼす」物資として位置づけるのは、この“静かな崩れ方”を想定しているからだ。
では経済はどう壊れるか:医療インフラ崩壊の「値札」
ここが本題だ。抗菌薬の供給途絶は、医薬品市場の値上がりではなく、医療提供体制というインフラの性能劣化として現れる。経済的損失は大きく3層に分かれる。
1) 直接コスト:国民医療費の上振れ
厚労省によれば、日本の国民医療費は令和3年度で45兆359億円、GDP比は8.18%に達する。
この規模感は重要だ。抗菌薬不足が入院日数の延伸や治療の複雑化を招き、医療費が「わずかに」上振れるだけでも、金額は跳ねる。
国民医療費が1%上振れ:約4,500億円
国民医療費が5%上振れ:約2.25兆円
しかも財源は税だけではない。国民医療費のうち、患者負担(窓口負担の再掲)も令和3年度で約5.2兆円と示されている。
つまり、インフラの不調は“保険料と税と自己負担”の三方向から家計と企業に刺さる。
2) 間接コスト:労働損失と生産性の毀損
抗菌薬が足りない社会では、治るはずの感染症が長引き、重症化し、休職が増える。さらに手術延期が積み上がれば、患者は「治療待ちのまま働けない」期間が伸びる。これはGDPに直撃するが、単一の公的試算として「禁輸時の損失額」が公表されているわけではない(ここは断っておく必要がある)。
ただ、見落としてはいけないのは、抗菌薬不足がもたらす損失の中心は薬の値段ではなく、医療の処理能力低下が生む“稼働率の低下”だという点だ。
3) 連鎖コスト:医療の目詰まりが他産業へ波及
医療が詰まれば、介護・福祉、企業の健康保険組合、自治体財政にも波及する。重症化と長期入院が増えれば、病床は埋まり、救急の受け入れ余力は落ち、地域経済の安全網が薄くなる。ここまで来ると、損失は「医療費の増加」だけで語れない、社会インフラの劣化になる。
なぜ中国依存になったのか:「低薬価」と「重い工程」が押し出した
βラクタム系の原材料が中国に集中した背景として、危険性・環境負荷・設備投資の重さなど、国内で成立しにくい構造が指摘されてきた。そして決定打は、薬価を下げ続ける制度と、薄利で必需品を支えるビジネスモデルの限界だ。
セファゾリン不足を分析した研究は、供給不安が市場の混乱と適正使用の後退を招いたとし、薬価の構造が背景要因になり得ることにも触れている。
ジェネリック協会も、βラクタム系原薬の国産化は海外製に比べて製造コストが大幅に上がり得る(複数倍)と整理している。
ここに、日本側の「切れるカードの少なさ」が重なる。対立を“是”とする情緒は簡単だが、供給網を握られている分野では、現実の交渉力は非対称になる。戦前を想起させる緊張論が語られることがあるのは、善悪の話というより、資源・供給網を握る側が優位に立つ構図が透けるからだ。
いま進む対策:国産化・備蓄・点検の「現実路線」
政府は抗菌薬を経済安全保障の枠組みで「特定重要物資」に指定し、基金による国産化支援やサプライチェーン点検を進めている。βラクタム系4成分を念頭に、供給途絶時にも必要量を切れ目なく供給できる体制を整える方針が示されている。
国産化支援として553億円規模の枠組みが資料で示されている点も、危機感の裏返しだ。
さらに2026年1月には、抗菌薬原薬の備蓄積み増し支援として予備費71億円の支出が決まったことが報じられている。
民間でも、明治グループが抗菌薬の重要原料(6-APA)の国内生産再開を打ち出すなど、“元栓”側の工程を取り戻す動きが出ている。
結び:ナショナリズムではなく、国益の棚卸しを
日中対立を「どちらが正しいか」の物語に押し込むのは簡単だ。しかし、外交の現場で効いてくるのは、感情の正しさではなく、供給網・コスト・代替可能性という冷たい現実である。中国が輸出管理をカードとして切れることを示した以上、こちらがやるべきは「相手の意図を当てる」ことより、切られても医療と経済が回る構造を買い戻すことだ。
その値札は安くない。だが、抗菌薬の供給不安が招く損失は、薬の値上げではなく、医療インフラの性能低下として、45兆円規模の医療経済と労働生産性へ雪崩れ込む。
対立を“是”とするお花畑より、経済的影響という現実を直視して「国益とは何か」を棚卸しする──いま必要なのは、その再計算だ。
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Magiqych
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言語設定、タイムゾーン等の環境情報
アプリの操作ログ(画面遷移、設定変更等)※取得する場合のみ
2.3 センサー情報(利用する場合のみ)
加速度、ジャイロ、地磁気等のセンサー情報
※本アプリの機能提供(例:方位、動作検知、計測等)のために利用する場合があります。
2.4 位置情報(利用する場合のみ)
GPS等による位置情報(正確/概算)
※ナビ、地図、トラッキング、近隣検索等の機能のために利用する場合があります。
※位置情報は利用者の権限許可がある場合に限り取得します。
2.5 端末内ファイルへのアクセス(利用する場合のみ)
画像・動画・ファイル等(インポート/エクスポート、共有、バックアップ等のため)
3. 利用目的
本アプリは、取得した情報を以下の目的で利用します。
本アプリの機能提供・維持・改善
本人確認や不正利用防止(必要な場合)
お問い合わせ対応
利用状況の分析、品質向上、不具合の調査
法令遵守、規約違反対応
4. 外部送信・第三者提供
本アプリは、以下の場合を除き、利用者情報を第三者に提供しません。
利用者の同意がある場合
法令に基づき開示が必要な場合
人の生命・身体・財産保護のために必要で、同意取得が困難な場合
業務委託先に対し、利用目的の達成に必要な範囲で取り扱いを委託する場合(例:クラッシュ解析、配信基盤等)
5. 外部サービスの利用(広告・解析・クラッシュ解析 等)
本アプリが外部サービスを利用する場合、当該サービス提供者が情報を取得することがあります。
本アプリが利用する外部サービス(導入している場合)は、アプリ内または配布ページ等で告知します。
例(導入する場合があるもの):
広告配信(例:Google AdMob 等)
利用状況解析(例:Google/Firebase Analytics 等)
クラッシュ解析(例:Firebase Crashlytics 等)
外部サービスにより取得される情報、利用目的、取扱いは各提供者のプライバシーポリシーに従います。
6. 権限(Permissions)の利用
本アプリは、機能提供のために端末の権限を利用する場合があります。
権限はAndroidの仕組みにより、利用者が許可/拒否を選択できます。拒否した場合、該当機能の一部が利用できないことがあります。
(例:位置情報、カメラ、マイク、ストレージ、通知、センサー等)
7. 保存期間と削除
本アプリが情報を保存する場合、保存期間は利用目的の達成に必要な範囲に限ります。
利用者が本アプリをアンインストールすることで、通常は端末内の保存データは削除されます(端末仕様により一部例外があり得ます)。
外部サービスに送信・保存される情報がある場合、その保存期間は各サービスの仕様に従います。
8. 安全管理措置
本アプリは、取得した情報の漏えい・改ざん・不正アクセス等を防止するため、合理的な安全対策に努めます。
9. 未成年の利用
未成年の方が利用する場合、保護者の同意を得たうえでご利用ください。本アプリは、未成年からの個人情報を意図的に収集することを目的としていません。
10. 本ポリシーの変更
本アプリの機能追加や法令変更等により、本ポリシーを改定することがあります。重要な変更がある場合、アプリ内または配布ページ等で告知します。
1 week ago (edited) | [YT] | 0
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Magiqych
メディアにだまされないための話
テレビや新聞にモヤっとするのは自然です。言い切らない、遅い、都合の悪い話を避けてるように見える。だから「ネットのほうが本当がある」と感じる人も増えました。
ただ、ここに落とし穴があります。ネットは自由で速い代わりに、ウケる話ほど広がる仕組みです。怒り、不安、スカッとする断定、「隠された真実」──こういう内容は反応が取れるので、SNSのおすすめがさらに同じ系統を見せてきます。気づくと、反対の情報が目に入りにくい“囲い”ができます。
もう一つ大事なのは、嘘は作るのが簡単で、確かめるのは大変という点です。証拠を集めて裏を取るのは時間も手間もかかります。でも断定的な話は数分で作れて、勢いで勝ててしまう。ここが一番ズルいところです。
だから結論はシンプルで、「テレビを信じろ」でも「ネットは全部ダメ」でもありません。疑うなら、疑い方をアップデートするのが自衛になります。
具体的には、
①感情が強く動いた話ほど一呼吸おく、
②元の資料(一次ソース)があるかを見る、
③反対側の説明も1回だけ確認する。これだけで“釣られ方”はかなり減ります。
信じるのは自由です。でも、自由を守るには「だまされない技術」も必要です。
2 weeks ago | [YT] | 0
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Magiqych
オールドメディア不信と陰謀論の共犯関係:心理・アルゴリズム・社会のOS
「オールドメディア(新聞・テレビ・ラジオ・雑誌などの既存媒体)」への不信が、陰謀論や“ネットde真実”と呼ばれる現象と結びつき、社会の合意形成そのものを壊している──。今回のAIとの対話は、この現象を「人間心理」「SNSの構造」「信頼の崩壊」という3層で分解し、さらに“対抗策”がなぜ全体主義の匂いを帯びやすいのかまで踏み込んでいった。
結論を先に言えば、問題の中心は「どの情報が正しいか」ではなく、「誰を信じるか/信じられるか」という社会の基盤(OS)が腐食していることにある。真実は努力とコストを要するのに、嘘は低コストで量産できる。しかも現代のSNSは、その嘘が“勝ちやすい”ように最適化されている。ここから、いくつもの厄介な帰結が生まれる。
1. なぜ「家でネットを見ただけの情報」が、取材記事より説得力を持つのか
対話の前半は、陰謀論が“論理的に強いから”ではなく、心理的に気持ちよく、構造的に増幅されやすいから強いのだ、と整理した。
「特別感(秘密の優越性)」
人は「自分だけが気づいた」「隠された真実を知った」という感覚で報酬を得る。
この快感は、事実の重さではなく“選民感”で支えられるため、一次ソースの地味な積み上げに勝ってしまう。
複雑さへの耐性低下と“答えの単純化”
現実は複雑で、悪者も正解も一つに決まらないことが多い。
だが陰謀論は「全部つながっている」「悪い組織が操っている」という物語で、理解コストをゼロに近づける。“わかった気”の供給装置として優秀すぎる。
アルゴリズムが確証バイアスを“工業化”する
一度それらしい情報を踏むと、推薦が似た主張を次々提示し、反対意見の摩擦が減る。量と頻度が正しさに見えてくる(エコーチェンバー、単純接触効果)。ここでは「根拠」よりも「反復」が勝つ。
オールドメディアの“空白”を突く
既存メディアは裏取りや倫理、法規制で「断定できない」「報じられない領域」がある。
陰謀論は、その空白にもっともらしい推測を流し込む。さらに「一つのミス=全部嘘」という切り取りで、信頼を全損させる。
2. 根幹は「社会のOS(信頼関係)の崩壊」ではないか
対話の中盤は、陰謀論の蔓延を「メディアの質」よりも、共同体の分断と“公正な審判”の不在として捉え直した。
かつては同じニュースを見ていた=共通言語があった
いまは「何が正しいか」より「誰が味方か」が先に立つ
権威(政府・専門家・メディア)が失墜し、「裏切られた感情」が土壌になる
さらに厳しい見立てとして、情報の民主化は「知のフラット化」であると同時に、専門性への敬意の崩壊を招き、「数分の動画でプロセスを飛び越えた気になる」風潮を強めた、という整理が出た。
そして最も刺さるのがここだ。
人々は“真実”が欲しいのではなく、「報われなさ」や「無力感」を埋める物語を求めている。
陰謀論は、世界が理解不能なほど複雑な時に「自分は把握している」というコントロール感を安く与えてしまう。
3. 嘘は安い、検証は高い:コスト非対称性がすべてを壊す
終盤で決定打として出てくるのが、いわゆる 「嘘の非対称性」の問題だ。
デマは想像力だけで作れるが、ファクトは証拠・検証・取材という物理コストが必要になる。結果、情報市場は「悪貨が良貨を駆逐する」状態に寄っていく。
ここから対話は、「ファクトチェックを真面目にやるほどコスト負けするなら、戦略を変えるしかない」という方向へ進む。
デマの“供給網”を断つ(収益化の剥奪、拡散のコスト増)
AIで検証コストを下げる(攻撃もAI、防御もAI)
“発信者の信頼”を担保にする経済圏(嘘のペナルティが大きい主体が強い)
しかし、この手の処方箋はすぐジレンマに突き当たる。
規制やスコア化は、表現の自由や匿名性を侵食し、「自由を守るための管理」が全体主義に寄ってしまう危険があるからだ(不寛容のパラドックス)。
4. “処方箋”の先にある、ポスト・リベラルな3つの未来像
ここが対話の面白いところで、議論は「じゃあ自由主義と民主主義はどうアップデートされるのか」ではなく、“その先”の社会像にまで飛ぶ。
提案されたのは大きく3つ。
1. 認識論的テクノクラシー(知の統治)
事実判定や手段の最適化をアルゴリズムに委ねる方向。
ただし「誰がAIを管理するのか」で陰謀論の標的になりやすく、脆い。
2. 小規模共同体のパッチワーク(分断の許容)
全体合意を諦め、価値観・信頼プロトコルが近い集団で“別々の真実”を運用する。
内戦状態は沈むが、普遍性は失われる。
3. 身体的・実在的信頼への回帰(責任の再導入)
言葉が汚染されすぎた結果、改ざん困難な履歴・実名・実績・供託など、逃げられない責任に信頼を寄せる。
匿名の自由は縮むが、嘘のコストを上げられる。
対話の流れでは、1はハックされやすいので、現実的には2か3が進みやすい、という見立てに傾いていった。つまり、私たちは「広い自由な広場」を諦め、壁に囲まれた“信頼できる庭”へ移住していくかもしれない、という話だ。
5. じゃあ個人はどう備えるのか(記事の締めとして)
この対話が突きつけたのは、
「正しい情報を探す」以前に、“信頼をどう設計するか”が生存戦略になる、という現実だ。
個人レベルでの備えを、対話の含意から抽出するなら:
一次ソースに触れる習慣(全部は無理でも、要所だけは)
自分の情報フィルターを複線化(同質コミュニティ1本足を避ける)
「気持ちよさ」を警戒信号にする(怒り・優越・断定の快感が強いほど疑う)
信頼できる“人”のネットワークを育てる(分野ごとにハブを持つ)
拡散の指先に摩擦を入れる(即シェアしない、24時間置く、反証探しをワンセットにする)
結局、「無料で手軽に手に入る真実」は存在しない。
だからこそ、真実のコストを社会でどう負担するのか、あるいは社会が分断されるなら自分はどの“庭”に属するのか──。この問いが、情報時代の政治や生活の土台になっていく。
2 weeks ago | [YT] | 0
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